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著者: 笹川 陽平  
記事タイトル: ハンセン病制圧特別大使〜まずは「制圧」、そして「根絶」へ  
コラム名: インタビュー  
出版物名: メディカル朝日  
出版社名: 朝日新聞社  
発行日: 2001/08  
※この記事は、著者と朝日新聞社の許諾を得て転載したものです。
朝日新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど朝日新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
  まずは「制圧」、そして「根絶」へ
世界保健機関(WHO)の初代「ハンセン病制圧特別大使」


  ハンセン病国家補償訴訟で、
  国は条件付きながら控訴断念を決定した。
  世界の各地で四半世紀にわたり
  ハンセン病制圧活動を続けてきた日本財団だが、
  これまで陣頭指揮をしてきた笹川陽平理事長に、
  ハンセン病制圧特別大使就任を機に「今後」をうかがった。


≪ 「切り込み隊長役」にとのお達し
   制圧目標「1万人当たり1人以下」に ≫

??この度は、WHOのハンセン病制圧特別大使にご就任、おめでとうございます。いつ決まったのですか。

笹川
 5月16日、ジュネーブで開かれたWHO総会でハンセン病と闘っている世界各地域の代表の総意で決まりました。このあと、わたしどもがこれまでやってきた事業を詳しくお話ししますが、1985年に122カ国にのぼったハンセン病蔓延国が現在116カ国で制圧できて、残るのはインド、ネパール、ミャンマー、マダガスカル、ブラジル、そしてアフリカのモザンビークの6カ国になりました。WHOは、2005年のハンセン病制圧宣言を目指しているのです。つまり、人口1万人当たり1人以下におさえ込むという目標です。わたしは、その“切り込み隊長”にというお達しです。

??といいますと、具体的にどのような仕事をするのですか。

笹川
 ハンセン病の蔓延国にはもう何回も出かけて行っていろいろな活動をしていますが、制圧達成のためにこれを機に一層拍車をかけてほしいということです。つまり士気の鼓舞ですね。また、どこの蔓延国にも現場で一生懸命に活動してくれている方はいるのですが、それを束ねるというか、リーダーシップをとる人物が少なかった。また、大統領とか各国首脳に直接会ってハンセン病についての話ができる人ということで、私にハンセン病制圧特別大使をとの指名がありました。これまでにも「ハンセン病は治る病気だ。差別はいけない」と、人道的あるいは医学的な立場から各国首脳に積極的な対応を求め続けてきましたので、そのような行動への期待もあるのです。

??ところで、特別大使ご就任は小泉首相の「控訴断念」決定がきっかけという見方がありますが…。

笹川
 関係は全くありません。私の大使就任はそれよりずっと前から内定していましたから。たまたま時期が重なったということです。それにしましても、小泉首相の勇断は最近の日本発の“世界ニュース”でした。ハンセン病の患者あるいは元患者がどれほど勇気づけられたか、計り知れませんね。


≪ 戦前から始めた救らい活動
  ハンセン病施設の整備・建設も ≫

??話をちょっと戻しますが、日本財団とハンセン病とのかかわりについては知られていないむきもあるかと思いますので、歴史的なことを簡単にお話し願えますか。

笹川
 亡くなった父・良一(日本財団初代会長)が戦前、「自分が住んでいた村の女性がらいに冒されて嫁にもいかなければ表にも出られない」ということを知ったのがきっかけです。以来、個人的に制圧活動に協力してきましたが、1974年、父の75歳の誕生日を機に世界のハンセン病問題の解決と福祉面での向上を目的に笹川記念保健協力財団を設立しました。父は日本財団(1996年までは日本船舶振興会)を設立してからも、外国に行けばまずハンセン病の病院の見舞いから始めたそうです。当時、ハンセン病患者は世界で1,000万人とも1,200万人ともいわれていました。いろいろな協力のかいがあって、いまでは70万人まで減りました。こうした人類が抱えた難病に対して、日本財団や保健協力財団がWHOを始め途上国の保健省、海外のNGOと協力して制圧活動を支援してきた結果です。

??実際、これまでどのような事業をなさってきたのでしょうか。

笹川
 まず、診療活動の実施、前線の医師や保健婦の教育研修から始まり、僻地への薬運搬機材の供与、診断および予防のための図鑑・フィルムなどの教材作成と配布、病院や診療所施設と医療器具の整備などと、考えられることはなんでもというくらい幅広い取り組みをしてきました。ハンセン病関連施設の整備・建設としては1975年の韓国癩病研究院を始め台湾、パラグアイ、ネパール、インド、タイ、インドネシアなど8カ国の14施設にのぼります。タイの研究所には、大阪大学の伊藤利根太郎教授(現在名誉教授、微生物学)に5年間にわたって現地で指導していただき、いまでは東南アジアの中心的研究施設になっています。

 特筆すべきことは、治療薬の普及です。1970年代後半に保健協力財団を含めて多くの研究機関や研究者により複数の薬剤(ジアフェニルスルホン、クロファジミン、リファンピシン)を同時併用するMDT(Multi?drug Therapy複合療法)の研究が進み、1982年に実用になりました。ハンセン病の制圧はもう夢物語ではなくなり、日本財団は1994年から5年間、世界中にこの薬を無料で配布しました。画期的な出来事でした。もう1つ、ハンセン病予防ワクチンの開発研究支援も手がけたこともあります。父が88歳の時、自分の体にらい菌を植えてまでワクチンの開発に一役買おうとしたという話も語り種になっています。ジェンナーの種痘を思い出したのでしょうかね。その時の薬などもまだ残っていますよ。結局、ワクチンは成功しませんでした。


≪ これからも治療薬の配布が中心
  マスコミを通してキャンペーンも展開 ≫

??そうしますと、この四半世紀の事業規模は相当なものですね。ハンセン病制圧の切り込み隊長として、これからはどのような展開をお考えですか。

笹川
 そうですね。この25年余りの間に提供した額は200億円ぐらいになると思います。特別大使になったからといって、これまでと何も変わりません。現時点で一番効くといわれている治療薬(ノバルティス社提供)を、6カ国を中心に世界に配って回ることです。私も先頭に立ってインドの奥地、あるいはアマゾンの果てまでも行きます。これまでも、結構あちこち配って歩いていますから苦になりません。

??治療薬の無料配布のほかに何か・・・

笹川
 これからはマスコミを通してのキャンペーンが大事だと思います。特に、蔓延国でテレビ、ラジオで報道すると、皮膚に疾患を持った人たちがわっと集まります。簡単な皮膚病ぐらいに考えている人が多いのです。驚いたことに、国のお偉い方にも知識不足の人が多いですね。この間行ったウガンダでは、ムセベニ大統領が「昔、ハンセン病患者をビクトリア湖の離れ島に送り込んだという話を聞きました。最近は、患者はみたこともないし、聞いたこともありません」と言うのです。驚きました。ウガンダの首都から2時間ぐらいのところに立派な専門病院があるのに、この程度なのです。ですから、ハンセン病のことをもっと知ってもらうためにはマスコミの力がこれからはどうしても必要です。


≪ まだ、1つの通過点
  世界的戦略で「根絶」を目指す ≫

??それに「差別」の解消という大きな課題も抱えていますが…。

笹川
 ハンセン病をなくしたいというのは、日本財団の悲願です。病気はたくさんありますけれど、天刑病といわれて差別を伴う病気はほかにはありません。しかも、紀元前6世紀にすでにインドにこの病気のことを書いた書物もありますし、旧約聖書にも出ています。私にいわせれば人間が人間を差別する悪業の根源となる病気です。例えば、各国の罹患率が1万人に1人以下というWHOの制圧目標を達成したとしても、ハンセン病の長い歴史のなかでは、1つの通過点でしかないわけで、次のステップは患者・元患者の人権を回復させることです。今回の「控訴断念」の政府決定をもって、元患者の方々の人権と尊厳が完全に回復したわけではありません。これからは、教育の場を始めさまざまな機会を通じての地道な努力が求められます。我々はこれからも厳しく問いかけ続けるでしょう。ですから、私はハンセン病の問題をライフワークとして死ぬまでやらなければならない仕事と肝に銘じています。1つは、WHOの制圧目標の「1万人当たり1人以下」を2005年までに達成すること。2つ目は、「制圧」だけではなくて、地球上から完全にハンセン病を「根絶」することです。3つ目は、人間が人間を差別する原点のハンセン病に対する差別意識の解消です。オランダとかドイツのキリスト教系の財団でも、私共のような活動はしていますが、地域が限られていて広がりの面ではいま一つの感がありますので、切り込み隊長としては、こういう同じ考えのグループも巻き込んで世界的規模で制圧のための戦略を組んでいくつもりです。

??ご健闘を期待しています。今日はお忙しいなか、お時間を割いていただきましてありがとうございました。(聞き手・海江田 裕紀)
 



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