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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 脱出?日本人にはない苦渋の選択  
コラム名: 自分の顔相手の顔 453  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 2001/07/25  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   この一年間のイスラエルとパレスチナの緊張の中では、パレスチナ人も大きな変化の波をかぶっている、と外国の新聞は報じている。多くのパレスチナ人たちが、続々と国外流出を始めているというのである。

 数百人の人命の損失、数力月に及ぶ暴力、建物などの損壊が続いた後で、パレスチナは新たな損失に直面した。つまり最近の情勢に嫌気のさしたパレスチナのエリートたち、企業家たち、最高の教育を受けた人たちが、見切りをつけて国外に脱出し始めたのである。彼らは国家建設の大きな力になるべき人たちであった。

 有名な医師、事業家、労働者、学生など……すべて国を去るチャンスを持った人たち、イスラエル側の封鎖を突破できる手立てを持った人たちは、機会を捉えて国を出ようとした。ことに学校がもう一年も閉鎖されている状態が続いたこともあって、こうした脱出の傾向はいっそう激しくなった。

 アラファト議長はこの情勢を軽く見ている。これは大した変化ではない。情勢が混乱している時や、季節的な人の出入りとして、よくあることだ、と言うのである。

 ラマラー市にある二つの学校では、十五から二十パーセントの学生たちが、国を出たか、少なくとも来学期は来ない、と届け出ている。親たちは子供のために国を出るのだ、と言っているが、同時に迷いも深い。ここにいれば親類縁者の庇護もあり、社会の結束力の中に身を置くこともできる。一方、脱出すれば、成功の機会もあり、少なくとも政治的な流血の現場からは逃れられるというものだ。出て行く先は、アメリ力、ラテン・アメリカ、オーストラリア、カナダである。

 「誰もがここで何かしようと思って帰ってきたんですよ。しかし今はそれも無理です」

 と大学の経済学の教授は言う。彼の近隣もおおよそ半分は既に脱出した。去年、三人の息子たちの学校に、再三にわたって催涙ガスが撃ち込まれた後で、彼は息子たちをアメリカに送った。彼自身も近く国を出る。

 唯単に国を出たい人が出て行くということではなく、今回の「祖国脱出」は大きな心理的対立を後に残した。お前たちは国家を見捨てたのだ。無責任に問題を放棄したのだ、という非難が脱出組に投げつけられたのである。

 こういう時、自分ならどうするだろう、という苦渋に満ちた自己への問いかけも、日本人はしたことがない。人間ができるのは多分こういう選択に立たされる時なのだが。
 



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