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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 武装する教師?一人でも多くの子供を守る  
コラム名: 自分の顔相手の顔 452  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 2001/07/24  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   イスラエルとパレスチナの葛藤(かっとう)を見ていると、どうしてこれほどまでに対立を続けなければならないのか、と思う。

 多分闘争は、部分的に人間性の中に組み込まれた本能に合致していて、興奮を伴う楽しいものなのだろう、と思うほかはない。愛するものを殺されることが楽しいわけはないのだが、人間が、平和と闘争とその双方に惹かれていることは本当だ。日本の祭りの中にもあちこちに「ケンカ祭り」的な要素を持つものがあって、これは町内会同士で大人の対抗意識をむしろ意識的に作って遊んでいる。

 池田小の児童たちが殺害された事件以来、学校は自衛の手段を真剣に考えている、という。そういう話を聞くと、私はイスラエルで見た或る光景を思い出す。

 或る日私は二十人近くの小学生のグループが、自動小銃を持った髭面の男に引率されているのに出会った。男は頭には敬虔(けいけん)なユダヤ教徒であることを示す小さな丸い帽子(キッパ)をつけている。子供たちは、社会科授業の一部か、写生会か、植物観察か、そんな感じであった。

 私は図々しくその男に「あなたは子供たちの警備をしておられるのですか」と尋ねた。

 彼は受け持ちの教師であった。イスラエルでは、子供たちが外へ出る時には必ず引率の教師が武装して付き添うのだ、と彼は言った。どの学校も必ずそうしているのか、そこまで正確には聞けなかったが、そのように聞こえる答え方であった。

 「一つの自動小銃で、この子供たち全員を守りきれますか?」と私は皮肉ともとられそうな質問をした。すると彼は、できないかもしれないが、少なくとも応戦することによって、一人でも多くの子供の生命を守るのだと答えた。

 現代の日本では決して問題を突き詰めて考えない。周囲から非難されない程度のおきれいごとの範囲で答えをごまかしておく。それが良識ある人道的人間と思われるこつだからである。先に攻撃して来た犯人でさえも、もしその場で応戦して射殺したら、マスコミは非人道的だと言って非難するから、学校の防備はまず非常ベルくらいの段階から考えられる。しかしイスラエル人だったら、決してそんなことで子供は守れないと言うだろう。

 日本と日本人は、実に優柔不断で現実を直視しない不思議な国と国民だ、と外国人が思う所以(ゆえん)である。攻撃して来た狂人から子供の生命を守ろうとするなら、先手を打って狂人をぶち殺す他はない。それを誰も承認しないで、失われた子供の生命だけを悼むのは、やはり不気味なことである。
 



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