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私は生まれてからずっと東京に住んでいる純粋の東京人なのだが、今度の都知事選を見ていると、おかしいと思うことが幾つもある。 まず、どうして女性候補者が一人も出ないという異常事態が起きているのだろう。私のように政治よりははっきりとおもしろいもの、たとえば小説があるから、とてもそんなことは考えられない、という人ばかりではないだろう、と思う。女性でも組織を動かすのが才能の上でも巧みな人はたくさんいるのである。しかも今、女性が立つのに、何のさまたげもない時代だ。社会はむしろそれを待ち望んでいるのだから。しかしそれでも立候補する人が都の人口の半分の六百万人の中に一人もいないというのは、日本の女性が自発的に政治を嫌っている、としか思えない。それはどういう理由なのだろう。 それにしても私がこれまた今でも理解できないのは、立候補した人たちの中で、組織票を頼る人がいるということだ。無所属だと言っても、どこかの党のきちんとした推薦があれば、とか、党内部の票がためのために挨拶に行ったとかいう話を聞く度に、それこそれっきとした選挙違反じゃないかと思ってしまう。 それに党員とか組合員とかいう人たちも情けない。党や組合が指令した人なら、唯唯諾諾(いいだくだく)と受け入れるのだろうか、と私のような選挙の素人(しろうと)は不思議でならない。私なら「ハイハイ、そうします」と一応は請け合っておくかもしれないが、自分の好みに合わなければ決してその人に入れない。ひそかに党にも組合にも逆らって、別の人に一票を投じる。それくらいの自立性も反抗心もない人たちが選挙をしているのかと思うから、選挙そのものもいやになるし、人を束にして動かせると思う政治家の思い上がりにもうんざりするのである。 宗教が政治を動かすのもやはりおかしい。信仰は信仰だ。教団がそれを組織票として政治に使うようになったらもう堕落している。 それにしても世間の男たちというのはどうしてああも権力志向が強いのだろう。私にはとてもついていけない情熱である。 私は今まで何人かの内外の「偉い人」に会ったが、偉い人はその立場のために決して本当のことも、おもしろいことも言わなかった。会話は型通りで、退屈だった。仕方がないのだとよくわかってはいるのだが、私はあまりにもおもしろい人たちに会って、そのすばらしい思想、知性が燦然(さんぜん)と輝く瞬間に立ち会い過ぎた。そういうものこそ人間の魂の会話であると知ってしまったから、政治家の無難な話などどうしようもない。私自身が年を取って余命幾許(いくばく)もないと思うと、いっそう内容のない会話で残り時間を過ごすのもいやになる。 しかし今度の都知事選は珍しく都民皆が楽しんでいるところがいい。競馬場に行ったような気分らしい。私はやはり牝馬が出ない競馬はおかしいと小さなことにこだわっている。
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