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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 医療費?「使わなきゃソン」なのか…  
コラム名: 自分の顔相手の顔 147  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1998/06/01  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   毎年、増え続けて来た国民医療費が、一九九八年度は前年度比一・一%(約三千億円)減の二十八兆八千億円に留まりそうだという。その理由としては昨年九月に導入された薬剤費や老人医療の自己負担増などの結果、患者一人当たりの通院回数が減ったことにもあるらしい。つまり自分で払わなければならなくなったら、人間というものは誰でもてきめんに医者に行く回数を減じるのである。
 これでまた不満が増えるのだろう。老人医療費が高くなって、こんなことでは日本に安心して住めない、という投書を既に読んだこともある。しかしそれならどこの国に移住しますか? と聞きたい気もする。
 日本では、病気なのにお金が全くない人を放り出したりはしていない。こんな国家は世界で数えるほどしかないだろう。少しの病気なら「病院へは行かずに売薬で済ませておこう」と考えるのはどこの土地でも家庭でも、まあ普通のことだし、薬があって買えるだけまだしも恵まれた生活なのである。
 世界の貧しい人たちは、病気になってもなかなか医者になどかかれない。病院が遠くて、バス路線がないと、病気の身で三十キロも五十キロも歩いて行くことはできないから、じっと痛みや苦痛を堪えている人など、いくらでもいる。やっと医師に見て貰えても、お金がないと薬をもらえなくて当たり前なのだ。私の知人のシスターたちはアフリカの私立病院やクリニックで働いていて、彼女たちは薬を誰にでもすぐ与えるが、薬代はしばしば「収穫があった時」払いである。
 その手の国には、病人を運べる車さえないから、五キロ、十キロと家族が担架で病人を運んで来ることも珍しくない。せめて何でもいいから病人を乗せられる車が欲しいと言われて、四駆を買ったことも何回かある。
 救急車が来ても代金を払えるかどうかを聞いて、家族が首を横に振れば病人をそこに置き去りにして帰って行く国は実に多い。そういう現実を知らない新聞記者と老人がいるから「日本では年寄りが生きていけなくなる」という投書が掲載されるのである。
 これからは健康な人が、自分に与えられた権利さえも、自らの選択において放棄するだけの魂の強さを持つことも必要だろう。人は使っても、自分はできるだけ医療保険を使わずに済まそうという決意である。使わなきゃソンの逆である。
 私たちは六十歳になった時、クラス会で還暦記念の韓国旅行をした。プサンから韓国に入り、最初の食事は焼肉だった。韓国人のガイドさんは「ここは食べ放題ですから、どんどん注文してください」と言ったが、一人が音頭を取って「まだ初日だから食べすぎないようにしましょうよ」と言い、私たちはお皿に余すことをせず、余分なものは一切取らずきれいに食事を楽しんだ。その時、私は「ああ、皆年はとったけど、いい女になったんだなあ」と感動したことを今でも覚えている。
 



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