共通ヘッダを読みとばす

日本財団 図書館

日本財団

Topアーカイブざいだん模様著者別記事数 > ざいだん模様情報
著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 言葉遣い?気楽な口をきき笑い合えたら  
コラム名: 自分の顔相手の顔 304  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 2000/01/24  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   人との付き合い方ほどむずかしいものはないけれど、私は子供の時、父が気むずかしかったので、家の中でも、どうしたら父を怒らせないで済むか、ということに戦々恐々として、言葉遣いから、時には動作まで身が竦むほど気をつけていた。
 その反動だろうか。せめて家族の間では、気楽な口のきき方をしたいと考えるようになった。だいたい母親とか女房とか姉とかいうものは、少し、或いはかなり、口やかましく困る存在なのであって(もちろん例外もたくさんあるけれど)、息子や夫や弟という立場の男性は、外に向かっては家の中の女性の悪口を言いながら、やはりその人の幸福は願っている、というような関係が、ごく普通でいいと考えていたのである。
 しかし今では更にそれを少し変えている。やはり家庭の中でも、「親しき中にも礼儀あり」だと思うべきで、身を慎もうという感じになって来たのである。
 先日シンガポールにいる時、話をしていて、突然水虫のことを喋りたくなった。ところが、どうしても英語で水虫という単語が出てこない。
 英語で暮らしている日本人の友達に「何て言いましたっけ」と救いを求めた。すると、正式には「アスリーツ・フート」(運動家の足)と言うのだが、シンガポールでは「香港フート」と言い、香港では「シンガポール・フート」と言うのだ、とおかしそうに言う。お互いに悪いことは、相手になすりつけるのが人間の性なのだということを示すいい例である。
 夫は東京の郊外で生まれたのだが、旧制高知高校に行った時、お隣の伊予「愛媛県」は貧しいから、皆イモを食うのだと教えられた。それで対抗試合があった時、悪口を言うのが上手くて、スポーツは好きではない夫は、舌戦で参加するつもりだった。さしあたり、
 「伊予のイモ食い!」
 とどなることに決めたのである。
 ところが、試合が始まると、すかさず松山高校側がどなった。
 「土佐のイモ食い!」あれえ、どうなってんだ? と夫は思ったと言う。こちらの言う科白を、向こうに先に言われてしまったのである。
 つまりどこでもイモは食っているということだ。好き嫌いはまた別。イモを食うから貧乏な土地だとか、貧しい家庭だとかいうこともないのである。
 お互いに「イモ食い!」と言い合って笑えたら、どんなにいいだろう。「お宅のようなご家庭では、おイモなんぞ召し上がりませんでしょう?」などと言っているのでは、ほんとに疲れてしまう。
 亡くなられた遠藤周作先生は、夫が「髪の毛の薄い奴に限って櫛を持ってる」と言った時にも悠々たるものだった。そして、
 「髪が薄い、というのは差別語だからな。これからは『髪の毛の不自由な人』と言ってもらおう」
 とおっしゃった。
 



日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION
Copyright(C)The Nippon Foundation