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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 生と死?運命…誰かが決めてくれる  
コラム名: 自分の顔相手の顔 223  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1999/03/16  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   最近ラジオの番組で、死の話をした時、若いキャスターの女性は、私が子供の時から毎日死のことを考えて暮らしている、死を思わない日は一日もないから、と言うと少し驚いたようだった。
 人間には生に向かう性格と、死に向かう性格とがあるという。私ははっきりと死に向かう性格だったから、修道女の先生たちが、毎日間接的にもせよ、死を思いつつ生きよ、という姿勢に結びついた話をされるのを、ごく自然に受け止められたのである。
 いつも死を意識していると、悟ったんですね、などという人がいる。死に向かったことのない人だろう。私は悟ったこともないし、毎日毎日、あの世を信じられる日と、あの世はなさそうに思う日とが、交互にやって来る。私の知人の神父の中にも「死が怖いんですよ」とさりげなく言う人がいるが、それが神父として信仰がない証拠でもない。
 そんなにいつもいつも死を意識していたら損をするじゃないですか、と心配してくれる人もいるが、性格は損得で左右できるものでもないだろう。またその損得を計測できるものでもない。私はやはり私の性格を引きずって生涯を送る他はないのである。
 ただディマジオ氏の死のついでに思い出すと、一九六二年マリリン・モンローが死んだ時、私は不眠症だった。そしてモンローも睡眠薬の常習者だったと言われていた。
 モンローの死を知った時、私はつきものが落ちたような気がしたのだ。睡眠薬中毒で死ぬなんて言うのは、ああいうスターだけに許されるドラマであって、私のような駆け出しの作家は、不眠症になったというだけでもしょってるようで恥ずかしい。それが私が不眠症から立ち直るきっかけになったのである。
 今の私なら回復への方法として、へとへとになるまで畑仕事をしただろうと思う。しかしその時、私は美術館巡りをした。毎日毎日脚を棒にして美術館を歩き、人間はやはり単純にできているから、それで疲れて夜になると眠いような気がし始めたのである。
 死がなければ、木も風も、星も砂漠も、あんなに輝いているとは思えないだろう。永遠に生きるという運命がもしあるとしたら、それは恩恵ではなく、これ以上ないほどの重い刑罰だ。ほどほどのところで切り上げられるのが死の優しさである。その時期はまあ、自分ではない誰かが決めてくれるのだから、これまた無責任で楽なものだ。
 死に易くする方法は二つある。一つは毎日毎日、楽しかったこと、笑えたことをよくよく覚えておくことだ。私の家庭は自嘲を含めてよく笑っているから、種には事欠かない。
 もう一つは、正反対の操作になるが、辛かったこともよくよく覚えておくことだ。死ねば嫌なことからも逃れられる、ということを忘れてはいけない。こんなふうにずっと思い続けているのだが、だからといって決して悟ったと思えたことなどないのである。
 



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