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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 勝って兜?平和な世にも生きる戒め  
コラム名: 自分の顔相手の顔 320  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 2000/03/22  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   生まれて初めて、江田島という所へ行った。私は仕事でかなりあちこち旅行しているのだが、江田島に足を踏み入れたことはない。初めてだ、というと何人かにびっくりされた。機会がなかったということもあるが、元々は図々しい私の性格の中にも、大した必要がないなら女性は立ち入らない方がいい場所という観念があって、長年ご遠慮すべきだ、と考えて来たふしがある。私は歴史小説も書いたことがないし、戦争について書いた数冊は、いずれも偶然陸軍の話であった。
 しかし今度初めて仕事で行った時、教育参考館を見学し、おまいりさせて頂いた。他国と同様、常時衛兵をおくべき場所だろう。
 明治の武人たちは、すべて字が上手である。血判を押した連判状に署名するのにも辞世の句を書くのにも、ふさわしい堂々たる墨跡だ。辞世の句を丸文字で書いたら恰好がつくまい、などと一瞬態度の悪いことを考えたが、今どき辞世の句など詠む人はないから大丈夫だ。しかし習字というものは、人格の養成のためにも復活した方がいい。私も始めよう、と一瞬だけは本気で思い、心からの礼を階段下で捧げて退出した。
 参考館でひさしぶりに出会った表現がある。「勝って兜の緒を締めよ」という言葉である。戦争中さんざん聞かされたが、これは原典は三河物語で「未だ敵は多し。味方はすくなく候へば、勝て(勝って)かぶと之ををしめよと云ふ事有り」なのである。
 こういう表現は戦争中のものだから、もうこの平和の時代にはいらない、というのが日本人の反応である。戦争に関するものはすべて追放だ。兜もいけない。軍事学もいらない。東郷平八郎の名は教科書から削れ、である。
 しかしこの「勝って兜」の精神はほんとうは今でも生きているべきだった。バブルの時代、人々は好景気に酔った。日本の未来は永遠に輝いているように見えた。その時、日本人は兜の緒を締めるどころか、兜を脱いで「いやあ、頭を風にさらすのは、いい気持ちなもんだな」と無防備になったのである。
 いつでも敵がいる、と思うより、この格言として使われている言葉は、謙虚さと緊張を失わない姿勢を示している。
 人間はいつもその個人として「発展途上」だ。発展途上国だけが、途上なのではないのである。社会主義は明らかに人間性を無視していたが、資本主義にも「堕落する自由」がちゃんと開けていた。最近の政界、警察、どれも絵に描いたようなけちな堕落の様相を見せた。
 「勝って兜」の精神は恐ろしく自制的、禁欲的である。すなわち、富を得た時には金はないかのように、成功した時には次の失敗に備えることを意味していたのだ。つまり現世をあまり信じないことなのである。古臭い、戦争中でご用済みになっていた知恵どころではない。もし銀行やその他の企業が兜の緒を締めていたら、こんな経済的破綻はまちがいなく起きなかったのである。
 



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