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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 国境なき土木技師団  
コラム名: 昼寝するお化け 第165回  
出版物名: 週刊ポスト  
出版社名: 小学館  
発行日: 1998/10/23  
※この記事は、著者と小学館の許諾を得て転載したものです。
小学館に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど小学館の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   先日来続いた台風や長雨で那珂川が氾濫し、床上浸水した家では、被害にあった家の奥さんが床下にもぐりこんでへどろを掻き出すという厳しい作業を続けているのがテレビに映っていた。私も東京の葛飾区の生まれで、大田区に移り住んでからも、親戚は主に東京の東部に住んでいたから、昔は低い土地がすぐ冠水する苦労話に取り囲まれて育った。
 那珂川の住民たちは、「堤防がなかったからこうなった」と政治を恨んでいる。しかし「川は自然のままにした方がいいのだ」と盛んに言っていた人がおり、テレビも新聞も雑誌も、そういう人の意見をけっこう支持していたと記憶する。そういう人たちとマスコミは、こういう時にも自説を曲げないで発言してほしい。洪水のニュースの時には堤防が必要な方になびくのは卑怯ではないか。
 川を放置するなとというのは、治水を怠ることで、まさに政治の基本をないがしろにしたということだろう。住民の方にも、以前、洪水が起きれば水を被る可能性がありますよ、とわかっている河川敷のような土地に家を建てて、それが流されたと言って怒っている人がいた。こういうのはルール違反でむしろ罰した方がいい。
 災害が出ると堤防は当然必要だとなるが、穏やかな時は川は自然のまま放置するのがいい、と移転に応じない人もいる。そういう力を応援して来たマスコミは、今回も責任を政治だけになすりつけて自分は知らん顔である。
 川には堤防を作って、治水をする他はないだろう。しかし堤防をどれだけ自然に近い温かい感じのものにできるか、これが腕の見せ所になるはずだ。

 この九月にアフリカに行った時、フランスの「国境なき医師団」と同じような組織で「国境なき薬剤師団」というNG0があることを知った。「国境なき医師団」は内戦などでまだ弾が飛び交っているような時に、現地に乗り込んで救援活動を始める。命の安全が保証されるかどうか、などということは一切問題にされていない。
 医師団が紛争地帯に乗り込めば、当然、薬剤師団も後に続かねば仕事ができないだろう。
 しかしそれを思うと、当然「国境なき土木技師団」というNG0があってもいいと思う。日本の大手ゼネコンの連合体でも、こういう組織を作ったらいいのである。私の知る限り、優秀な土木屋たちが、一応第一線を引いた後、もう大してお金に執着しなければならない理由もなくなり、しかしまだ体力気力は十分にあって、心のどこかで人に尽くして死にたいと思っているケースは多いと思う。
 日本人が世界で自国の利益以外に何をして来たか、と言われる時、「国境なき土木技師団」がでかけて行けば地道な貢献ができる。アメリカ型の世界の武装警官的姿勢はうんざりだから、黙って災害復旧に尽くすということはすばらしいことだ。
 八月七日のナイロビとダールエスサラームのアメリカ大使館に対する爆破テロ事件の時、現地に乗り込んで救出活動に従事したイスラエル軍の救助チームの詳細の続報を、このほど「ミルトス」という雑誌で読んだ。
 救出チームの隊長、ウディ・ペン・ウリは四十三歳で予備役の大佐である。予備役だから、普段は民間の建設会社の管理職で、コンクリートの専門家だという。
 事件が発生した時、彼は家族とオランダを旅行中だったが、すぐ現地へ急行し、医師、看護婦、機械工、溶接工、技師からなる百七十人のチームの指揮を取った。最新の聴音装置、クレーン、ドリルなど、こういう時に何が必要かを知っているのは、一九九四年ブエノスアイレスのユダヤ・コミュニティー・センターの爆破事件、一九九八年六月イスラエルのペエルシェバの体育館崩壊の時などに、救援活動をしたからである。こういう時には、土木屋こそするべきことを知り技術も持っている。

「真心さえあれば」の発想は迷惑な限り
「われわれは、或る程度の危険は覚悟している」
 とペン・ウリは言っている。この言葉を許すか許さないか、尊敬と同感を持って社会が受け入れるかとうかが、国家と国民の自己確立性、成熟度、品位などを示す指標となるだろう。
 ナイロビの現場では、いつのまにか、アメリカ、フランス、ケニアの救助隊が、自然とイスラエル隊の指揮下に入って働いていた。眼に見えるような光景である。誰もが専門家に従うことが有効だ、と肌で感じたのだ。
 ペン・ウリは言う。
「我々は、彼らを指揮する責任も権限も持っていませんでしたが、彼らは従って来たのです。ただ、イスラエル・チームはこの種の救助活動の経験が豊富なのです。それに我々はフッパー・イスラエリ(厚かましいイスラエル人)ですからね」
 全くイスラエル人と付き合ったら、こちらがよほど腰を据えてかからない限り、自分の主義主張こそ正しいとするイスラエル人の意見に呑まれてうんざりする。その性癖をご当人が知っているとは、慶賀すべきことだ。
 五日間の猛烈な働きを終えて帰宅した時、彼は金曜日と土曜日の二日を眠り通した。そして日曜日の朝には仕事に復帰した。イスラエルの安息日は土曜日なのである。
 ペン・ウリの両親は、戦争中のユダヤ人虐殺から逃れてイスラエルに帰った人だという。両親のその苦労を思うと、一週間の救助チームの働きなど、何ほどのこともない、と彼は言う。暗い歴史や悲しみこそ人間の高貴な魂を作る上で必要なのである。
 自衛隊も、民間と合同でこういうことができるのだ。少なくともイスラエルの救助チームは軍の現役と予備役とが混ざっていたらしい。しかし訓練と動員は全く同じように行われる。この場合は指揮官も予備役であった。頭の固い日本の役所や役人には考えられないことかもしれないが、人道に立てば柔軟に考えられるはずだ。まずでかけて行って、それから掛かった費用はあとで国家が持つ。国家が持たなければ、今私が働いている日本財団でも喜んで全額引き受けるはずだ。
 災害救助というものは、これ以上素朴な形はないと思われるほど自然な人間的な感情から出ている。ただ善意ではあっても、その目的に対して素人であってはならない。真心さえあれば、などという発想は迷惑な限りであろう。救助の技術は決して素朴であってはならない。毎日その専門的な仕事に従事して腕を磨き続けている人にしかできない。
 総理がワシントンヘ行っても何の策もなかった、と非難するのは易しいが、国民も自ら行動に出る部分があってもいいはずである。
 



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