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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 貧乏?不自由するのは貴重な体験  
コラム名: 自分の顔相手の顔 31  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1997/03/10  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   小さな非政府組織の救援団体で二十五年間、お金集めをし、途上国で働く日本人の修道女や神父の働きをそれで助けるというボランティアの仕事をして来たおかげで、私は世界的レベルの貧乏に非常に詳しくなった。私たちの組織へお金の申請をしてくるようなところは、どこも電気がない、食べ物がない、病院がない、薬がない、バスがない、教育の設備がない、仕事がない、のないない尽くしの場所ばかりなのである。
 水がない、都市から遠い、というような要素もある。日本で貧乏というと、大学へ出す金がない、家を買う何千万円という金がない、というようなぜいたくのできない文句だが、世界的な貧乏の概念は、今日食べるものがない、ということである。
 そういうところで聞く話は胸を打つものばかりである。名もなく貧しく美しく、というようなものではないが、今日本人が持っているもののありがたさが身にしみるのも、こういう貧困を知ったからである。
 援助をするには現状を知らなければならない。しかし援助の仕事をしている人でありながら、汚い、遠い、水やお湯がない、電気がない、食べ物がよくない、というようなことに、とても耐えられない人が時々いる。ずっとこういう不自由な生活をしてください、というのではないのだ。たまに、そういう調査をする時でも、不自由をするのは貴重な体験だと思えない気の毒な人である。
 先日も或る財団の会議に出ていて、途上国の援助の話になると、一人の人が「幸いなことに、私はまだそういう土地に行ったことがなくて済んでおりますが」と言った。もちろんそういう人がいてもかまわないのだが、その人は、インテリア・デザイナーとか、ホテル業とか、レストランの経営者とか、別荘のデベロッパーとか夢を売る仕事をするべきで、少しでも人間の実情と対決する仕事に就くべきではないのではないか、と私は思うのである。
 貧しい土地に入るには、意外とお金も時間もかかる。インドシナ半島でも、アフリカでも、奥地に入るには、しばしば飛行機やヘリをチャーターしなければならない。アフリカの小型機のチャーター代は安いのだが、インドシナ半島で飛行機を使えば、ヨーロッパまでファースト・クラスで旅行するくらいのお金もかかる。しかし地上は、道がないか、ゲリラの危険があるか、などで移動ができないのである。
 バッキンガム宮殿にご招待いただくのも一種の特権だろうが、世界的な貧乏を知るなどということも、普通人のできない体験だから、私は一口には言えない深い感謝の思いで受け止めていたのである。バッキンガム宮殿に入れて頂いたことがない者として比べてはいけないのかも知れないが、人生を想うのだったら、宮殿に招かれるより、満天の星の下で野宿をする方が、ずっと適しているのではないか、と考えることがある。
 



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