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近ごろ、海賊被害のニュースをよく耳にする。1999年10月、日本人の船長と機関長が乗った貨物船アロンドラ・レインボー号がマラッカ海峡でシージャックに遭う事件が起こり、わが国においても海賊事件が注目されるようになった。 1999年には、300件を超える海賊事件の発生が報告されている。日本財団の調査によると、日本の関係した船(船主もしくは運航者が日本の企業)が海賊被害を受けた件数も37件に上る。 海賊は、有史以来の犯罪といわれ、古くは紀元前7世紀アッシリア王がペルシャ湾の海賊を討伐するために遠征隊を派遣したという記録がある。私が幼いころ抱いていた海賊のイメージは、冷酷だが、宝物を追い求め大海原を旅する、どこかロマンチストな冒険家であった。しかし、昨今の海賊は多種雑多であり、国際シンジケートによるシステマチックな犯行など、子ども心にもっていたイメージからは、ほど遠いものが多いようだ。 国際法上では、「公海上において船舶に対し個人的な目的のためになされた攻撃」のみを海賊事件と定義しているが、襲われる船側からすると公海も領海も危険にさらされることにはかわりない。海賊対策の中心となっている民間機関の国際商業会議所国際海事局(IMB)では、「窃盗ないしは他の犯罪をなそうという意図を持ち、それを実行するための力を用いる能力を備えて、ある船舶に侵入する行為」を海賊としている。本稿においての海賊の定義もこれにならう。 IMBは、海賊事件の多発地帯である東南アジア海域を中心に、海賊事件の情報収集と対策を講じるため、マレーシアのクアラルンプールに海賊情報センターを開設している。ここに紹介するデータの多くはIMBのレポートによるものである。 海賊には、大きく分けて3種類のタイプがある。 1) 最近クローズアップされているハイジャック型。船を乗っ取り、乗員を海に放り出し、積み荷を船ごと奪ってしまうタイプ。 2) 武装強盗型。航行中の船舶に高速ボートで近づき乗り込み、銃やナイフで脅迫し、船用金や乗員の私物を奪うタイプ。 3) 港に停泊中や沖に停泊中にこっそり乗り込み船倉などを荒らす、こそ泥型。 1999年に報告されたタンカーの海賊被害件数は、52件。舷が低く乗り込みやすいタンカーは、このどのタイプの海賊にもかっこうの標的とされている。
マラッカ海峡沿岸国の被害 ここで、アジア諸国、特にマラッカ海峡沿岸国が恐れている海賊被害について述べてみたい。 「原油を満載してアラビア海を航行してきた大型タンカー(VLCC)A号は、途中インド洋でモンスーンによる時化(しけ)に遭い、航海日程が1日遅れとなってしまった。マラッカ海峡の西の入り口、ワンファザムバンクを通過し、分離通行帯に入ったのは、東の水平線に太陽が今にも姿を現そうとしているときだった。 船長はちゅうちょした。このままのスピードで進むと、マラッカ海峡でいちばんの難所といわれるフィリップチャンネルを通過するのは深夜になる。フィリップチャンネルは、シンガポール海域との結節点に位置し、インドネシア側には、小島が無数に点在している。浅瀬と岩礁が多く、その隙間を直角に近く曲がりながら通過しなければならない。水路図や航路標識が整備された今でも、この海域を通過するときには、身が引き締まる思いがする。時間を調整しようにも、最高速度を制限されている航路帯のなかでは限度がある。また、これ以上日程を遅らせることは避けたい。割り切れない気持ちのまま船長は、A号の船首を東に向け進めた。 巨大な船体は、月明かりのなかをフィリップチャンネルに侵入、狭い航路をゆっくりと進む。レーダーに見え隠れする無数の漁船の姿に気をとられながら。 数百メートル先を無灯火の小型船が右から左に横切った。明らかにルール違反だ。船長は、闇の中に消えていく小型船の姿を双眼鏡を通し追いかけた。 船長も当直航海士も横切り船に気をとられていた。船が遠ざかり視界から消え、2人が目を合わせた瞬間、ブリッジの両舷のドアから覆面をした7、8人の男たちがなだれ込んできた。航海士、操舵手の2人は、ロープで縛り上げられ、猿ぐつわをされ、床に転がされた。船長は、拳銃を持った2人の男に両脇を抱えられ船長室に連れて行かれた。そして、船用金と私物を盗まれた。 海賊たちは、操舵手の腕のロープだけを解き、足は縛ったまま、舵輪の前に立たせ、クモの子を散らすように消えていった。わずか15分足らずの出来事だった。しかし、その間、幅数百メートルの航路のなかを原油を満載したタンカーA号は、操船不能の状態になっても航行を続けていたのだ」 実はこの話は、シンガポールの当局が、マラッカ・シンガポール海峡における海賊被害として最も危惧し、想定したシナリオである。もちろん作り話ではあるが、このタンカーA号が、もし、座礁し、積載している原油がマラッカ・シンガポール海峡に流出したらどうなるであろう。30℃を超える気温で揮発し続ける原油は、文字どおり一触即発の状態である。何らかの理由で火がこの油に移れば海峡中が火の海になりかねない。仮に、引火しなかったとしても油防除のために、この海峡が数日間閉鎖されることは避けられないだろう。海運立国シンガポールとしては、大打撃である。また、多くの生活必需品を海上輸入に頼る日本の経済への影響も避けることはできないであろう。ご存知のとおり日本で使われる石油の8割は、この海峡を通り運ばれているのである。 危惧していた事件が勃発 1999年1月16日、危惧されていたことと似通った事件が現実に起こった。フランス領のケルゲレン諸島船籍のタンカーCHAUMONT号(13万1654DWT)が、フィリップチャンネル内(北緯1度4分、東経103度42分)で海賊に襲われたのである。この事件は、マラッカ海峡内で、VLCCが海賊に襲われた初めてのケースとなった。 CHAUMONT号は、夜間航行中、5人の海賊に侵入され2人の乗員が人質に取られ、船長室を物色された。しかし、たまたまダイニングルームを覗いた3等機関士の機転により警報が鳴らされたため、海賊は急いでボートで逃げ去った。 この事件は、2000年11月にマレーシアで開催された「アジア地域海賊対策専門家会合」でも報告され、前掲のシナリオを前提に海峡における警備の重要性が話し合われた。 中・小型のタンカーは、シージャック犯のかっこうの獲物となり得る。特にガソリン、灯油などの加工後の油は、奪ったあとで、売却しても足がつきにくい。また、2000〜3000tクラスのタンカーは操船もしやすく、ブラックマーケットでも人気商品だという。奪ったあと船名を変え、幽霊船として世界の海を暗躍していく。これらの幽霊船は、密輸、密航に利用されるケースが多い。 1999年6月8日、タイ船籍のタンカーSiam Xan Xai号(1247DWT)は、シンガポールから2060tの軽油を積み出港し、タイのソンクラーに向かう途中、2隻のスピードボートに乗った海賊に襲われた。海賊は、拳銃とナイフで武装していた。17人の乗員のうち16人は、救命艇に乗せられタイ湾沖の海上に置き去りにされた。乗員はその後、漁船に救出された。しかし、オイラー1人は船とともに海賊に連れ去られ消息不明となった。その後船は、中国において発見され、操船していたインドネシア人とともに中国政府により拘留された。 マレー半島を挟んだ、アンダマン海側でもタンカーを狙った海賊事件が多発している。 2000年2月、日本の船会社が所有する小型タンカー、グローバルマース号がマレーシア沖で海賊に襲われ、船は積み荷のパームオイル6000tごとマラッカ海峡に消えてしまった。船員は、いったん漁船に移されたあと、エンジン付きボートを与えられて解放された。その後、船は名前を変え航行していたが、積み荷の一部とともに中国南部で見つかった。 タンカーを襲う海賊のなかには、オイルバージを持ち、海上で積み荷の油を抜き取ってしまうグループもいる。 また、アンダマン海で小型タンカーが海賊に遭った事件では、スリランカのテロ組織「タミールの虎」が燃料確保を目的に行ったものとの情報もある。
システムの混乱が多発を助長 海賊が多発するのは、社会システムが混乱している時代である。各国の内政の昏迷と深まる貧困は、海賊を含む多くの犯罪を増加させる第1の要因となっている。また、戦争や内戦の勃発は、武器の流通を促し、犯罪の凶悪化を増長させる。 古くは、中世ヨーロッパの十字軍遠征時のイスラム教勢力とキリスト教勢力の対立期や宗教戦争の時代など地中海を中心に海賊が横行している。 中国では、16世紀の明朝末期、海禁政策の破たんにより海賊が跋扈(ばっこ)している。この海賊たちは、偽装倭寇となり、東南アジアから日本の沿岸まで侵出し、密輸、密航、商船への襲撃など犯罪を重ねた。 今から十数年前、フィリピン沿岸域において海賊事件が多発した。この時期、フィリピンでは、マルコス政権が崩壊し政治的に混乱していた。フィリピン南部の島々では、反政府ゲリラ組織モロ民族解放戦線が武力闘争を展開していた。また海上では、ボートピープルがさまよい、海賊にとってのかっこうの獲物になっていた。さすがに、国際的に問題になり、IMO(国際海事機関)も東南アジア海域に調査団を送り、関係国の当局の取り締まりを強く求めた。以後、事件の発生は下火になった。 現在、最も問題となっているのは、インドネシアをはじめとしたアジア海域である。タイの金融危機に端を発したアジア経済危機以降、アジア地域における貧富の差は一段と開き、民衆の不満は改革へのパワーへと蓄積されていった。その結果、各地で武力対立が勃発し、アンダーグラウンドで武器が流通していることが大きな問題となっている。 世界の海賊事件の実に30%近くがインドネシア海域で発生している。インドネシアではスハルト政権の崩壊以後、政局は安定することなく、東ティモールの独立、アチェの独立運動、イスラム教徒とキリスト教徒の武力抗争など社会問題の巣窟となっている。その結果、直接または、間接的に海賊事件の多発へと結びついている。 アジア各国は、不穏な海上の現状に危機意識を持ち始めた。頻発する海賊事件をはじめとした海上犯罪に対し、国際的な協力活動によって問題解決の糸口を見いだそうとする試みが始まった。 2000年には、アジア地域において海賊に関する会議が多く開催された。4月には故小渕総理大臣の提唱により、アジア地域の海上警備機関の長官が東京に一堂に会し、海賊対策の会議が開かれた。この会議では、アジア地域の国々が海賊対策で共同歩調をとっていくことが合意された。この会議での合意に基づき、わが国の海上保安庁は、昨年11月にインドおよびマレーシアと海賊対策の共同訓練を行っている。そのほか、3月にシンガポール、11月にマレーシアで、海賊対策の専門家の会合が開かれるなど、積極的な対応が開始されている。 わが国の海上保安庁を中心に、アジア諸国の海上警備機関は、国際協力関係を構築し、海賊に対する「知識と情報の共有化」を進めている。日本財団が民間の立場より各国政府、各国際機関の結節点となり、この活動を資金面、運営面で支援している。 海賊問題の解決は、その海賊の性質を分類し対処していかなければならない。 まずは、1)各国の沿岸警備の強化による港湾および領海内の犯罪の取り締まりおよび抑止が必要である。 2)マラッカ海峡などの複数の国の領海が入り組んでいる海域では、海賊活動を制約に追い込む、共同警備、情報協力などに関する沿岸国間の二国間協定の締結など具体的な国際協力の実施が必要である。 3)公海上の事件やシージャック事件のような国際犯罪シンジケートが関与していると思われる海賊犯罪に対しては、国連をはじめとした国際機関においての議論と解決策の策定が求められる。 1)、2)、3)いずれの対策もまさに今、始められたところである。今後具体的な成果が表れ、海上の安全確保が図られることが、わが国の経済の安定に不可欠となる。 今、アジア諸国は、国際協力関係を構築し、海賊をはじめとした海上犯罪の撲滅と航行安全の確保のための取り組みを始めた。18世紀初頭、イギリス、フランス、オランダの3カ国は、海賊対策の協力体制をとり、インド洋、紅海、ペルシャ湾から海賊を駆逐した経験をもつ。海域を取り巻く国々の協力関係の構築は、海の安全を確保するための重要な施策となる。ひいては、アジア全体の経済の活性化と安定につながるものである。
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