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十二月十日付けの東京新聞のいわゆる三面には、見開き記事で、師走の暗い話が出ている。片面には「凍る年の瀬 日雇い労働者 不況に細る腕 パン宿泊券支給過去最高 仕事激減、盆前より三分の一『後は死ぬのを待つだけ』」。これは横浜市の話で、見出しだけで大体推測はできるが、仕事にあぶれた労働者には、パン券(七百二十円)と宿泊券(千五百円)が出されている、という。 見開きのもう一方のページには「“酷寒”列島 75歳と46歳 母娘餓死『娘は体弱く働けない』郡山のアパート 空の冷蔵庫、死後2日 周囲の勧めも……民生委員を“拒否”」 私はつい十日ほど前、アフリカのマダガスカルとルワンダから帰ったばかりである。どちらも観光ではない。私たちはそれらの国の極貧の実態に触れるために行ったので、電気も水道もホテルもない村の、修道院に泊めてもらう日もあったのである。 一般の人々も風呂など入ったことがない。洗濯もしない。水源も遠いし、知識もない。病気はそのまま。入院している人も三人に二人はマラリアだという感じだ。しかし蚊帳は千二百円もするから、一家の年収(月収ではない)が五、六千円という人には、とうてい買えるものではない。 町には人力車が溢れている。はだしの車夫の多くが痩せて結核だ。自分だけでなく、家族にも充分に食べさせられていない。民生委員に言えば餓死しないで済む社会など、彼らは想像することもできない。 どの土地でも、多くの時間を水汲みに使う。時には水源まで十キロもある時がある。米も毎日もみ付き玄米を臼に入れて杵で搗く。それでも米があるだけ幸せで、マニヨク薯しかない日もある。どちらを調理するにも、薪はひどく高い。一束百円くらいする。そんな薪は買えないから、近所の木を叩き切る。 政府が、お腹いっぱいになるだけの、燃料なしにすぐ食べられるパン券と、どうにか雨の漏らない場所に泊まれる券をくれるなどという話は、アフリカの村人には夢物語だ。 もちろん私は、日本の経済の歪みの谷に落ちそうな人を、今のまま放置していいと言っているのではない。しかし世界のレベルは違うということも、日本人はあまりに知らない。 今度の私たちの旅は、日本財団の企画で、日本の主要な全国紙、通信社、テレビ・ラジオ局、中央官庁の若手官僚を同行したのだが、こういう記事を読むと、つくづくこの記者も招待すればよかったと思う。この人も、世界の貧困の実態を知らない。彼の落ち度ではなく、教育される機会が全くなかったのだ。 世界は私たちが思う以上にすさまじい。日本でも苛めをやめることは当然だが、ルワンダでは部族の対立で百万人近くが虐殺された。もはや苛めなどという程度ではない。捜し出して来て、敵対部族とその関係者なら叩き殺したのである。 最近の日本人は、お坊ちゃまとお嬢さまばかりになった。
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