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もう「ニュース」ではなく古い話になりかけているが、「住都公団に公平な価格政策と情報公開を求める全国連合会」というグループが、先頃「住宅値下げ110番」という電話相談室を開設した、という新聞記事が出たことがあった。 それによると「住宅都市整備公団が昨年七月、売れ残った分譲マンションを平均一千万円(二十パーセント)値下げしたため、先に購入していた住民が反撥して結成した。公団が『価格は原価をもとに算出する。値下げは絶対にない』と言ってきたにもかかわらず、唐突に大幅値下げしたことを『詐欺的』と非難、差額分の補償を求めている」のだという。 絶対に値下げしない、と言ったとしたら住宅都市整備公団も軽率だった。世の中に「絶対」ということはないのだ。絶対に安全な構造物も制度もあるわけがない。私たちはむしろ変化そのものの中に生きている。いいように変化するものもあるだろうし、いわれなく悪くなってしまうものもある。 その時、人々は納得して分譲マンションを買ったはずである。今の日本では、誰かが誰かを無理強(むりじ)いして買わせるということは考えられない。無理強いさせられたと思わせられるのは、口車(くちぐるま)に載せられたケ?スである。 しかしその後、経済の激変で、公団は原価割れでも売らなければならなくなった。これも致し方がないことである。こういう形の損は株をやった人ならすべて体験しているはずだ。しかしそれが自由経済の原則の一つである。 昔、遠藤周作さんとイスラエルに行った時、アラブの男が遠藤さんに、安っぽいネックレスを売りに来た。そんなもの買わなければいいのに、と思ったが、遠藤さんは値段をお聞きになった。日本円にして約千円であった。遠藤さんが「高い」というとアラブの商人は「幾らなら買うか」と言うのである。 「そうだなあ、五百円なら買ってやろう」 アラブ人はちょっと考えるふりをした。それから「OK」と言った。遠藤さんが秘書への土産だというそのネックレスをポケットに入れて、数歩歩いた時である。同行していた三浦朱門が嬉しそうな声を出した。 「おい遠藤、見ろ、お前の買ったネックレスな、ここで三百円で売っとるぞ」 三百円の値段がついているなら、多分百五十円にはまけるだろう。その時である。結果的には遠藤さんに六倍近い値段で売りつけたアラブ人がわざわざ近寄って来て言った。 「ヨア、プライス。ノー・プロブレム(お前がつけた値段だ。文句ないな)」 日本人だったらそういう時こそこそとどこかへ姿を消すはずだが、アラブの商人にとってはそれは勝負に勝った凱歌(がいか)だったのである。 損をしたら補填(ほてん)せよ、というのは、総会屋が証券会社に要求したのと同じやり方だ。それなら、儲かった場合には返すことになる。それにも賛成するのだろうか。
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