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ジョークのような起源の奇妙な国 仕事の都合で、スイスのレマン湖の畔ジュネーブで三日間を過ごした。春から夏への季節の変わり目のせいか、セーターを羽織ったり、半袖シャツに替えたり大雨が降ったり、カンカン照りになったり、一日がとにかく目まぐるしい。レマン湖の名物のひとつ大噴水と目と鼻の先にあるホテルのレストランで遅い朝食をとる。 雨がやみ、モン・ブラン通りから湖越しにかすかに見えるアルプスの山々の頂に太陽が顔を出す。北海道と同じ緯度とはいえ、夏至の光は強烈である。雲が激しく動いたかと思う間もなくまた雨が。奇妙なことに気づいたのだが、三十分ほどの食事中、レストランの窓の上から張り出している日除けを上げたり下げたりその角度がなんと三回も変わったのである。 センサーつきの自動ではない。このホテルの従業員のマニュアルにそういう指示があるらしい。さすが、世界のホテル王、セザール・リッツを生み出した観光立国スイス。顧客へのサービスは完壁であり、ほとんどパラノイア的でさえある。「勤勉という論理観をもつ人間が、完全主義をめざして精密な製品とサービスを作る。それがスイス文化の特徴のひとつであり、その点、日本と共通性がある」。前日、会ったこの地の大学院の国際関係論の学者が、そう言ったのを思い出す。 この説は、日本人論として当たらずといえども遠からずなのだろうが、現代の日本人では、もはや真似ができない。もっともこのホテルのアメリカ人やロシア人の客は、光に合わせて日陰の角度が変わったことさえ、気づかなかったに違いないのだが……。日本とスイス、あえて共通性を探すとしたら、勤勉と精密好きくらいのものだ。あとは全く似ていない。異質の国なのである。 スイスとは何ぞや。美しい自然をもち、永世中立で平和愛好国で直接民主制を採用する国、チョコレートと時計と銀行の秘密口座で有名な国。そういう定義が間違っているときめつけることはできないが、もうひとつしっくりこない。そこで短い滞在期間中「スイスとは何ぞや」を旅のテーマにしたのである。 こういう種類の旅行者には、日本の海外旅行案内書は役に立たない。「心ゆくまで海外しよう」とか「スイス自遊自在」とか、たいそうな副題がついてはいるが、「旅の面白さとは景色と食事と買い物にあり」と考えているらしく、その国に住む人間の生活と意見は一切登場しないからである。 スイス人は、スイスをどういう国だと思っているのか。ホテルの部屋に備えつけの『ようこそ、スイスヘ』と題する英・仏・独語で書かれた案内書を読んでみた。これが、なかなかの傑作である。「スイスとは矛盾に満ちた国である。古きものと新しきものの混在、自然の景観と高度に発展した工業、中立主義のくせに率直にして果敢な外交と国際戦略を展開するこういうきわだった対照が、手をとりあって、この小国の存在を世界に対して大きく証明しているのである。そしてスイスのこういう多様性こそが、世界の旅行者やビジネスマンをこの国に引きつける」とある。 スイス人は、なかなか雄弁家であり、自信家である。そもそもスイスという国がなぜできたかというと「それは紀元前一世紀のローマ人の失敗による」と書かれている。もっと北に住んでいたケルト系の民族が、山づたいに南下してきたが、ローマ人がそれを嫌がって、レマン湖に注ぐローヌ川の橋を破壊した。それが、スイスという奇妙な川が、この地球上にできあがったそもそもの由来だというのだ。 民族や国の起源については、たいてい、天の神が空から降下して国を造ったという“天孫降臨”説が、日本を含めて世界中にあるが、他国が通せんぼしたのが国の起源とは……。やはりスイス人は変わり者である。 「この説はジョークではなく本当なのだ」と、チェコ人の父とハンガリー人の母をもち、九歳のときからスイス人となったジュネーブの国際関係大学院のスウォボダ学長が、太鼓判を押してくれた。父君がジュネーブに第一次大戦後、ごまんと設立された国際機関のひとつ「世界気象機構」の所長だったというこの国の高名な経済学者のスウォボダ氏。この人のスイス論を拝聴したが、「STRANGE COUNTRY(奇妙な国)」という言葉がさかんに飛ぴ出すのにはびっくりした。 わが日本人の感覚では自らをSTRANGE(一風変わった)と評するのは邪道である。「変な人」と思われたら、日本ではもはや、それまでだからである。スイス人はまったく違う。ヨーロッパの国々の中でも、「一風変わった」を売り物にする人々の住む九州よりも小さな国、そして海外投資が活発で一人当たり国民所得では世界有数のランクに位地する胸、「旧際交渉応用研究センター」(CENTER FORAPPLIED STUDIES IN INTERNATIONAL NEGOTIATION)という奇妙な名前の研究所をもつほど、旧際政治や外交に熱心な国??それがスイス国なのだ。 要するにユニークさゆえに成功したのが、この国なのだが、その根源は、一六四八年のウエストファリア条約になる。スイスはそのとき、「永世中立国」を宣言したのだ。自分が「中立」を表明さえすれば、相手が攻めてこないなどというノー天気な保証はこの地球にはないのだが、客観情勢がスイスに幸運に作用した。 山に囲まれていて攻め難い。他国に傭兵を大勢派遣するほどこの国の人々は戦争に強い。仮に占領しても、資源のない貧しい国だったので、得べかりし利益よりも、犠牲のほうが大きかったからである。今日のスイスの成功と繁栄はまさにこの「永世中立」にある。「中立」は「孤立」に非ずで、この国は多角外交をやり、第一次対戦後には、国際連盟の本部を誘致し、国際主義の最先端をいったのである。「中立」であるがゆえに戦禍をのがれ、経済的な漁夫の利をヨーロッパで独り占めし、“経済王国”を築き上げた。 日本人はスイス好きである。戦後、中立にあこがれた時代もあった。「スイス人も日本人が好きだ。スイス人と同様によく働き、倹約家だと思っているからだ。それがたとえ誤解に基づくものであっても、お互いに好きだと思っているのならそれでいいことにしよう」。前出の国際交渉応用研究センターのフレイモンド所長がそう言った。スイス人はエコノミックのみならず、したたかな国際ポリティカルマニマルである。
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