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一時期、私は土木の現場にばかり入っていた時代があった。本を読んでいて済むことなら楽なのだが、現場だけはそこに行かないとすべての知識が身につかない。 現場で働く人たちが、こんなすばらしい仕事をしていることを、奥さんや子供たちは果たして知っているのかしら、と私はしきりに思ったものであった。多くの男たちが、東京や大阪に妻子をおいて山の現場にいるのは、大変男らしい配慮で、家族には、自分の仕事上の変化の波を被せるようなことはせず、週末だけ時々自分がその穏やかな家庭に帰る方が、安心できるからであった。 しかし彼らは、山をくり抜いて地下に宇宙基地のような発電所を作っていた。或いは、大都市から大都市の間に、日本の動脈のような高速道路を作っているのだ。 私の最初の土木小説は『無名碑』という題だったが、それは事故にも遭わず、無事に大きな現場を完成させて去った人たちは、彼らの作品であるダムにも道路にも、決して署名をしないことへのすばらしさを示したものだった。彼らが作って黙って去って行った構造物は、すべて輝かしい『無名碑』なのである。 しかも彼らはほとんど例外なく、軽薄なマスコミと、無責任な市民運動家たちによって、自然破壊の犯人のように扱われた。しかし戦後の日本の繁栄は、ダムによる水力発電や、物資を輸送する道路なくしてはあり得ないものだった。彼らはそれに信念を持って黙々と罵倒されながら使命を果たした。 そういう現場に、妻たちはなかなか入れてもらえないのである。昔から山やトンネルの現場にいる神は嫉妬深くて、女性が山に入ると事故が起こるなどという迷信が信じられていたからだった。しかしこういう悪い習慣は少しずつ変わって来ている。 先日、父親が工学部の出身で、外国に長らく単身赴任していた、という青年に会った。「お父さまは、土木屋さん? それとも建築屋さん?」 と聞くと、全くわからないのだという。 何というもったいないことを! と私は唖然とした。父親が、どんな現場にいて、どんな問題に出会い、それをどう克服したか、或いは敗退したか、ということは、それだけで大きな時代の証言だし、見る方にとってはドラマである。それを父親は家族に言わないし、家族の方も聞かない、というのだ。日本人はどこか狂っている! 学問や知識というものは、決して大学や図書館だけにあるものではない。最良の供給場所は家庭と社会である。それを日本人は、なおざりにして使わないのだ。 このエッセイを書きながら、私は今勤めている日本財団で、家族が職場を訪問する日を作ろう、と心に決めた。父母や娘息子が、どんな机に向かって仕事をし、どんな食堂でご飯を食べているか家族は知るべきなのだ。
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