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車椅子の押し方も教えない教育に疑問
「民主主義の成立条件は電気である」と、作家であり日本財団会長である曽野綾子氏は主張するが、反面、人間性や人間らしい心は決して電気の普及する先進国にしかないわけではないとして、福祉の心とまちづくりにおいて諸外国の事例を引きながら、わが国の問題点を指摘する。障害者にとって本当に必要なものは何か。いつしか日本はこうした基本的な問いかけを忘れ、怠慢であったり、独善的になったり、また善意の押し売り的なまちづくりに陥っているのではないか。同氏は、その背景には教育の貧困があると問題提起する。
??世界各国を訪問され、各地の事情を見聞された中で、今なお日本の昭和30年代当時に近い地域は見られますか
曽野 昭和どころか、明治時代に相当するのではないかと思えるような国がたくさんあります。そうしたところでは、やはりいまだに族長支配が見られます。
??そうした国では、建設業は成り立っているのでしょうか
曽野 建設という段階には到底、及びません。今なお牛に木製のスキやクワを取り付けて、畑を耕しているようなところが多いですから。 そうしたところは、村単位で自給自足の生活です。たまに交易の市に出かけてメリケン粉と砂糖、茶、布くらいを買ってくるという程度です。それ以外は、自力で採れるもので生きている人がたくさんいます。
??そこにダムや道路が出来て、輸送用のトラックが通るようになると、徐々に産業も発展していくのでは
曽野 それはどうでしようか。日本には、それを受け入れる力があったと思います。しかし、アフリカなどで急にインフラを整備しても、それをどう活用すれば良いのかが分からないでしょう。 ネパールでのことですが、首都から東へ500kmほど行った所に、ブータン難民がたくさんいます。彼らに「竹籠を編んだり、焼き物を造るなど、何かの内職仕事でもなさったらいかがですか」と尋ねましたら、「ここは500kmにわたっていい道がない。どうして首都まで運んで、採算の合う値段で売れますか」と、逆に聞かれました。インフラ整備は、じんわりと全体に行き届くようにやらなければ無理なのです。
??逆に、建設の技術と文化において日本よりも優れている国は
曽野 戦前に私が住んでいた家はスキ間だらけで、障子の外に雨戸があるといった木と紙の家でした。よく、あんな家で生きていられたと思います。ところが、ヨーロッパでは16世紀から17世紀に建設された偉大な建築物が今でも見られます。その意味でもヨーロッパに行くと、私は愕然とします。これらの建物が建設された時代に、われわれは何をしていたのかと。 しかし、各国の技術というのは面白いもので、先ごろ私はコペンハーゲンに行きましたが、そこは標高が最高で173mしかありませんから、トンネル技術もいらないんですね。日本のようにダムを造るのにまず隧道を掘るということはほとんどないんでしょうね。 また、日本では川の迂回路を山中に造り、トンネルが完成すると本川を止めて誘導させながら仮排水路を造ります。ところがリビアでは、雨が10月から4月までの雨季にわずか4日間くらい、しかも1,2時間ずつしか降らないのです。そのため、仮排水路なしでダムが出来るわけです。私が驚いてそれを指摘すると、現地の技術者が「仮排水路がないことに、よく気付いて下さった」と喜んでいました。 そう考えると、日本の土木屋さんは、実に過酷な条件を突き付けられているわけです。
??気候や地形が技術に反映しているのですね
曽野 コペンハーゲンで聞かされたのは「土は偉大な財産だ」ということです。これはイギリスでもそうですが、スエーデンには土がないのです。標高が最高でもわずか173mと低いため、埋め立ての土がないのです。 これはシンガポールにおいても同様で、わざわざインドネシアから泥炭を輸入していた時期がありました。泥炭から出る石炭殻を利用していたようです。 その点、日本人は土を持っていることの恩恵に誰も気付いておらず、考えてもいません。
??そうした違いを踏まえながら、世界の福祉に貢献する日本財団の会長として、まちづくりはどうあるべきと考えますか
曽野 個人個人にいろいろな素質があるように、まちづくりも地域の特徴を的確につかんで、あまり人マネをしないことです。人間の住む所ですから、人の心がなかったら街ではありません。例えば特別養護老人ホームを整備するにも、施設があって心がないということになりかねません。 その点、アフリカでは「国家や社会が救ってくれないから、病気の親や金のない従兄弟は、俺が救ってやらなければ」という考え方があるのです。人間的な温かさがあるわけですね。 アフリカでは、一人の母親がたくさんの子どもを産みます。子どもは「神から与えられたもの」という考え方があるため、中絶を考える親が少ないのです。たとえ15人目であろうとも、産んで大事に育てようとするわけです。どちらが人間的なのかといえば、アフリカの方が人間的でしょうね。
??精神的な背景が違うわけですね
曽野 アフリカの方が遅れていると日本人は考えがちですが、人間性を失わずにいるという点では、日本よりもはるかに優れている点があります。私たちは、どこの国からも学ぶことはあるのです。
??器と心の一致が理想ですね
曽野 人間には定形がありませんから、理論だけで街を造ったり制度を設けたり、また医学だけでどんな病気も完治できると考えるのは間違いでしょう。同じ薬品を与えても、ある人は薬害で命を落とし、ある人は完治するということもあるわけです。 作家の渡辺惇一さんが、よく私に「医学部の学生だったときに、人間は三分の一の出血で死亡すると学んだが、女性には死なない人がいる」と言っていましたが、それも人によるでしょう。 そういう個性が人間にはありますから、それをこの上なく面白がるという気持ちがなければ、構造物を造っても面白くないものになってしまいます。 器については、これまで研究が足りなかったと思います。例えば、身体障害者向けのお風呂を考えると、ほとんどの浴槽は壁際に設置されますが、本当は浴室の中心に置かなければならないものです。それは、前からも後ろからも、左右どちらからでも介助しやすいからで、一方、身体障害者の中には左半身不随の人もいれば、右半身不随の人もおり、それぞれ入りやすい方向があるのです。しかし、その点はあまり考慮はされていません。 ですから私は、身障者の部屋には浴室など必要なく、ただ部屋の中央に上から湯が降ってくるシャワーとイスがあれば十分だと、主張しているのです。 わが家の風呂場のタオル掛けにしても、タオルを伸ばして掛けろというのか、二つ折りにして掛けろというのか分からない寸法で、誰がこんな幅を考えたのか疑問です。バスタオルの製造元も、世界中のバスタオルのサイズを測って合わせれば済むことですが、とりあえずフェイスタオルより大きめのものをつくり、バスタオルと名付けて売れば気が済むという感じで、これは怠け者のすることですね。 イスラエルのホテルでは必ず200室のうち4室くらいは身障者用があり、私はそこへ主人と、高圧電流に触れて下半身不随となった人をお連れしたことがあります。その方が、部屋の構造を見た途端、「三浦さん、後は全て自分でできますから、どうぞ荷物を置いていって下さい」と言うのです。構造が身障者用にきちんとできているので、身障者でも一人の気楽さを味わえるわけですね。
??日本は形だけを作って、心が置き去りになっているのかも知れません
曽野 大切なのは、制度で救うのではなく「この人を見捨てられない。見捨てない」という心です。遠藤(周作)さんが「私が捨てた女」の中で逆説的に主張していましたが、愛とは見捨てないということです。例え相手の性根が曲がっていたり、悪態をついたりしても、それでも捨てないということなのです。 そうした哲学と宗教が両端で結ばれているような教育が、日本では全く行われていないために脆弱です。 日本人は車椅子を押すことがどういうことか、誰も分かっていないし、盲導犬の扱い方も知りません。車椅子の押し方などは、1時間もあれば十分理解できるのです。盲導犬にしても、触らない、声を掛けない、エサを与えない、ただ無視するということですから、これほど簡単なことはありません。その程度のことさえ、学校では教えないのです。 最近、私は視覚障害者と接触する機会が多いのですが、彼らは聴覚障害者とは全く違っているのです。例えば、視覚障害者が買い物をするときは、商品を目で確認できないため必ず小売店に行くのです。スーパーでは商品の配置替えをする可能性がありますから。 また車椅子に乗っている人にとって最も問題なのは、高さの違いです。
??最近はようやく車道と歩道との段差を解消するような整備手法に変わりつつあります
曽野 しかし、自動車が門から歩道をを横切って車道へ出る所では、歩道を分断していますから、低い方へ引きずられていくことになるでしょう。わずかでも斜面があると、電動式車椅子でなければうまく進まないのですから、人が言うほど、良いつくりとも言えません。
??戦後50年の間にインフラは急激に整備されたのですが、心がその変化についてこなかったということではないでしょうか
曽野 障害者のことを最もよく知っているのは障害者ですから、少しでも彼らの意見を聞けば良いのです。どうすべきか、彼らが教えてくれますよ。 また経済行為としては、必ずしも思い通りにはいきませんが、もう少し調査・研究をしても良いのではないかと思いますね。それほど大したことだとは思えない、実に簡単なことだと思うのです。
??確かに、経済的な効率性ばかりが重視される傾向がありますね
曽野 私はせっかく造られたもの、命あるものをなぜ人々は活かそうとしないのかと思います。 例えば、大量生産されるインスタントラーメンなどは、「人間が造っているのではなく機械が造っているのだ」と割り切る人もいますが、その機械が壊れたならば人間が修理し、製造工程を人間が監視しているわけです。だから、安売りで買えば二束三文だからと“捨てて良いもの”だとは、私は考えません。それが流通に乗って、あらゆる人々に美味を与えて幸せをもたらすということは、美しいことです。 私は、まちづくりにもそういう美学があっても良いと思うし、私たち日本財団としてもそういう美しいことをしたいものですね。(以下次号)
曽野綾子(その・あやこ) 本名:三浦知壽子 洗礼名:マリア・エリザベト 小説家、日本芸術院会員、女流文学者会会員、日本文芸家協会理事、日本財団会長、海外邦人宣教者活動援助後援会代表、脳死臨調委員、世界の中の日本を考える会理事、松下政経塾理事、国際長寿社会リーダーシップセンター理事、日本オーケストラ連盟理事。
昭和6年9月17日生、東京都出身。29年3月聖心女子大学英文科卒。28年、小説家で元文化庁長官の三浦朱門氏と結婚。29年、「遠来の客たち」で芥川賞候補となり文壇デビュー。作家として執筆、講演活動をこなす一方、日本財団会長や日本文芸家協会理事、その他政府諮問機関委員など多数の公職を務める他、敬虔なカトリック系クリスチャンでもあり、民間援助組織(NGO)である海外邦人宣教者活動援助講演会代表も務める。特に、この後援会での25年間にわたる活動が高く評価され、第4回読売国際協力賞を受賞した。 45年、エッセイ「誰のために愛するか」が200万部のベストセラーに。54年「神の汚れた手」で、第19回女流文学賞にノミネートされたが辞退。59年臨教審委員。平成5年日本芸術院会員。日本財団理事を経て、7年会長に就任。最近、発表した作品は、海外邦人宣教者活動援助後援会の記録を著した「神様、それをお望みですか」がある。 その他の主な作品:「無名碑」「地を潤すもの」「紅梅白梅」「奇蹟」「神の汚れた手」「時の止まった赤ん坊」「砂漠、この神の土地」「湖水誕生」「夜明けの新聞の匂い」「天井の青」「二十一世紀への手紙」「極北の光」など。
【受賞歴】 1979年 ローマ法王庁よりヴァチカン有功十字勲章 1987年 「湖水誕生」により土木学会著作賞を受賞 1988年 フジ・サンケイグループより鹿内信隆正論大賞受賞 1992年 韓国・宇耕(ウギョン)財団より文化芸術賞 1993年 第49回日本芸術院賞恩賜賞 1995年 第46回日本放送協会放送文化賞 1997年 読売国際協力賞1998年財界賞特別賞
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