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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 黄金色の秋  
コラム名: 私日記 連載32  
出版物名: サンデー毎日  
出版社名: 毎日新聞社出版局  
発行日: 1997/11/09  
※この記事は、著者と毎日新聞社出版局の許諾を得て転載したものです。
毎日新聞社出版局に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど毎日新聞社出版局の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   一九九七年十月十四日
 午前十時から日本財団で資金交付。お金を受け取りにいらっしゃるお客さま数十人にちょっとご挨拶。十一時から執行理事会。
 午後カザフスタンの大使にお会いした後、近くの愛宕警察署で講演。撃ち合いのような事件があると誉官がかぶるヘルメットに初めて触った。鋼鉄製で、これを被ってちょっと頷いたら、それだけで首の骨が折れそうである。さらに防弾チョッキはどんなに暑くて大変かと思う。
 十月十六日
 午前中、厚生科学審議会。
 終わって昼から鳥居坂の国際文化会館で、聖心女子学院のクラス会に出た。私たちのクラスは外で働いている人が多く、そのせいか、まだこの年でも死亡した同級生が一人しかいない。働くことは健康の元か。
 午後、岡山のアジア医師連絡協議会(アムダ)の近藤事務局長と南方圏交流センターの加藤代表。十一月にルワンダ入国に関しての打ち合わせ。向こうで大統領に表敬訪問をする件について、情勢の厳しい国だから、いろいろと考えてそれも必要なことかと判断する。しかし十人の調査隊員は、背広なしで寝袋を持って行く予定なのだが、表敬があるとどうなるのだ?
 十月十七日
 朝、出勤直前、ヴァチカンの尻枝正行神父から電話。日本に帰られている由。「それでは十一月六日の読売国際協力賞の授賞式においでくだされますね」と声が弾んだ。
 出勤の途中に予防接種。私はA型肝炎にかかっているので、そのための注射はしなくていい。しかし破傷風だけで一回三千三百円。いくら何でも高すぎるのではないだろうか。肝炎の注射をしなくて済んで儲けもの、とひどく喜んでいる自分がアホらしい。
 十一時から、国立教育会館で講演。午後、お客さま五組。五時過ぎから産経の「夕刊フジ」のインタビュー。その後で、おいしい小さなグラタン、まつたけとカキフライの夕食を御馳走になる。カキフライが大好物なのである。
 一昨日二十一時頃、タイ国籍のオラピン・グローバル号(一二九七〇二Gトン)とキプロス船籍のイヴォイコス号(七五四二八Gトン)の二隻のタンカーが、シンガポール海峡内西航航路中央部付近で衝突した。今のところイ号が積んでいた二五〇〇〇トンの粘度三八○のいわゆるC重油が流出したという。
 石油連盟がシンガポール当局の要請を受けて、同国内に備蓄中の大量流出油防除資機材の使用準備を開始。日本の海上保安庁は国際緊急援助隊の出動要請が行われた場合に備えての準備作業を開始したと言う。日本財団が資金の援助をしている関係の団体でも(1)海上災害防止センターは横須賀研修所に配備中のJICA所有の資機材の搬出準備を整えた。(2)日本海難防止協会は情報収集、協力体制の準備。(3)マラッカ海峡協議会はすべての航路標識を調査し、正常に稼働中であることを確認した。
 添えられている地図を見ると「どうしてこういうとこでぶつかったの!?」と絶句する位置。つまり車で言うと中央分離帯に両側から二隻がつっこんだ。アセアン六カ国に支援済みの流出油防除資機材は、総額で十億円のうち日本財団が八億円を出しているのでどこに何があるかよくわかっている。オイルフェンスだけを取って見ると、ブルネイのムアラに千四百五十メートル。インドネシアのバリクパパンに千七百五十メートル。マレーシアのポートケランに千六百メートル。しかし肝心のシンガポールにはたったの四百メートル。タイのソンクーラには千百三十メートルあるが距離がよくわからない。明日の休日も引き続き待機するよう海洋船舶部に頼む。
 十月十九日
 今日は東京クワルテットの演奏会。主催は日本音楽財団なのだが、クワルテットが使ってくださっている四挺のストラディヴァリウスを買う資金を出したのが日本財団なので、後援団体として草月ホールの入り口でお客さまを迎える。音楽財団は八挺のストラディヴァリウスを持っているが、すべて国籍を問わず無料で内外の音楽家に貸している。
 午後一時半、皇后陛下お着き。今日はモーツアルトとスメタナである。スメタナは晩年完全に聴力を失ってからの十年を、プラハの郊外の村に引きこもって作曲に打ち込んだ。「わが生涯より」は、その人生の思い出と、音を失うというカタストロフィーを歌ったものだ、という。
 そんな解説がなくとも東京クワルテットの四人(第一ヴァイオリンのミカエル・コペルマン、第二ヴァイオリンの池田菊衛、ヴィオラの磯村和英、チェロの原田禎夫)は、スメタナの思いを、気品と親しみと深い悲しみをこめて能弁に物語った。澄んだ上質の感動。明日お誕生日をお迎えになる皇后さまへのお祝いの曲も予告なしに贈られて、皇后さまもびっくりして感謝なさる。
 余韻の残る会場の一室で、クワルテットのメンバーと皇后さまのひとときの柔らかな語らい。音楽のお話の後で、
「今日はこれから稲刈りをいたしますの」
 というお言葉が、秋の黄金色の人生を思わせる。
 



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