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作家と世界一の援助組織の長という二足ワラジを履いて一年??。 泣く子も黙る監督官庁に正面からケンカを売った“豪傑”に、その顛末を聞く。 [聞き手]田村明彦(ジャーナリスト)
運輸省の改善命令に従って再建を図ってきた日本財団(日本船舶振興会)が、監督官庁の運輸省を訴えるという前代未聞の、「事件」が起きた。 財団は運輸省の指導で運営のお目付役となる評議員会を設置しているが、欠員を補充するため昨年七月の理事会でクロネコヤマトでおなじみの小倉昌男ヤマト運輸前会長を選出した。ところが小倉氏の運輸省批判がメディアに出たことから運輸省が再考を求めたため、半年たったいまも就任できないままだ。財団は一月にはいり、古賀誠運輸大臣を相手に不承認処分取消を求める訴えを東京地裁に起すという思い切った対応にでて、運輸省を慌てさせている。 一昨年の暮に会長に就任して以来、全国の競艇場を視察するかたわら、世界に点在する財団の資金援助先を飛び回るなど、文宇どおり財団を引っ張る作家の曾野綾子さんに、財団の活動ぶりや提訴の真意をうかがった。
会長直属の忍者部隊 ??曾野さんが日本財団の会長になられて一年です。まずなぜ会長をお引き受けになったのか。そのあたりからお話しいただけますか。 曾野 それは簡単なことで、引き受け手がなかったのです。誰がお引き受けになっても傷がつきました。学者は学者で、黒い噂に汚れます。財界の方は、いまは忘れてしまいましたけれども、あの当時、いろいろあったんです。もともと、名誉も地位も何もない小説家以外に、引き受けても大丈夫という人がありませんでした。それだけなんです。 ??職員の贈収賄事件が発端でしたね。 曾野 願わしくないことですけれども、そうしたことは、人生には付きものです。ですから大事なことは、それをきっかけに引き締めていくことです。あらゆる事件は、良きことなら、それを励ましにして、悪いことなら、それを勉強にして改善すべきということじゃないでしょうか。 ??この一年間、どういう形で日本財団を変えていこうとなさったのですか。 曾野 私は、ありがたいことに無給です。また、だから引き受けたところがあるのです。東京を離れて、外に出かけるときだけ、宿賃を払っていただいて、むこうでキップを買っていただき、日当を六千五百円いただく。それだけです。無給ということは、いつでも辞められます。ですから、気持も軽く、おかしなことがあったら、辞めて書こうと思いつづけてきました。(笑) (就任するまえに)運輸省から、業務改善命令というのが出たんです。ところが、その業務改善命令によって、なんと執行理事会を毎週やっているんです。私は怠け者ですからね、二週問に一回にしてくれないかなと思ってるんですけど、毎週なんです。また、これは最近やめてもらったのですけれども、文房具を十一万円買ったからというのまで会長決裁に回ってくるのです。このくらいは、担当理事決裁でやってくださいといってたんですけど、それでも回ってきました。 情報公開で、公表して差し支えのあるものは一つもないというので、今度、ほとんどの新聞に決算の数字ばかりの全面広告が出ます。財団に秘密は一つもないんです。私がくるまでの広報は、なんていい加減なことをしていたんだろうと思います。 考えてみましたら、私自身が情報公開が本職なんです。小説というのは情報公開ですからね、馴れたことでした。 ??一年前も、いまも中身は変っていないと。 曾野 何も変っていません。らい病(救済)はずっとやってますし、チェルノブイリの健康診断もやっています。私はマラッカ海峡に行って見てきたのですけれども、マラッカ海峡の浮標は三十何年間にわたって、私どもで八十二億円ぐらい出しつづけています。あそこの狭いところに、日本にもってくる大きなタンカーとかがあって、お世話になるから、せめて浮標その他で安全をということでやっておりますが、そういうこともぜんぜん変っておりません。 でも、世の中でやることは、けっしてすべて正しかったことばかりではないんですからね。私は失敗したら、マスコミの関係者にもお話しするつもりなんです。こういうところに、よかれと思ってお金を出しましたけれども、こういうふうにやられましたって、いうつもりなんですよ。ですから、この前、ラオスヘ自分で調査に行きました。 ??最近ですか。 曾野 はい。助成金も一億円ぐらい出しているんです。最初に薬を買ってあげて、その薬を売って得たお金でまた、薬を買って、それを患者に売るんです。最初にドカンとあげて、地方の保健所なんかが薬を安く絶えずもっていられるようにするという企画だったのです。 ??なぜ会長自らラオスヘ行かれたのですか。 曾野 私が就任してから会長直属の「忍者部隊」というのを発足させたのです。抜き打ち調査です。私が、これはと思ってきた人たちですから、名前は教えないんです。ただ、会計やなんかにはきちんと紹介して、特定の人にだけは教えていますけれども、形は直属になっております。財団のなかで、私も自分流の調査方法をもっている一人ですから、そのやり方を教えようと思って若い人を二人連れていって、手口を教えたのです。いきなり末端の現場に行くんです。もしそこで悪い結果が出ましたら、私が書くか、新聞記者の方々の前でお話しするか、どっちかをちゃんとやります。こういうところがだめだったということを。 しようがないのです。ODAだってNGOだって、それとの闘いなんですから。泥棒されて、行くべきところへ行かなかったりがあるわけです。ですから、私は、もとから疑えといっているのです。でも、こんなことまで、誰もあまりいわないのです。私が何年かいるあいだに、そういうことも教えていきたいと思っています。私は現場に向いていますね。いちばん会長に向いていません。(笑) ??会長自ら忍者部隊になったということですね。 曾野 おっしゃるとおりです。あんまり面白くないですね、会長の仕事というのは。(笑)
イルカにはお金を出せない ??助成、寄付行為の前提として「人を見たら泥棒と思え」とお書きになられています。 曾野 愛情と疑いと、両方が必要なんです。愛情がなかったらあらゆる思いは意味をもたなくなります。しかし愛情だけですと、それもだめで、疑いも必要なのです。義務と権利みたいなものです。 幸いにも、財団には非常に素質のいい若者たちがいますのでよく教えていきたい。日本人全体が、愛情と疑いと両方をもつべきだなんて教わっていないんです。 ??そういう意味では、日本でいちばん厳しい助成機関かもしれませんね。 曾野 でも仕方がない。なぜかというと、予算が世界一なんですから。でも私はよくいっているのです。一億円だから大事なのではないのです。百円でも人のお金は大事です。 私どもの財団は、霞が関のできない早い仕事ができます。それから、集中して送れます。まんべんに蒔いていると、兵力は分散するとだめだというでしょう。そうでないことができるんです。霞が関のやるべきことと、私たち財団のやるべきことは違うのです。両方があってこそ、はじめてよくなるのだと思うのです。 運輸省は運輸省で、お役所のやり方があります。しかしいっぽうでは、私たち民間のやるべき任務も、しっかり認めていただきたいということです、車輪の大きさが違うと車は曲る。霞が関と財団と、同じ力をもたなきゃなりません。お互いに助け合って、一つの車を動かしていかなければならない。 ??先日の記者会見でエチオピアが財団の援助を受けて食糧輸出国になったと紹介されました。どんな計画でしたか。 曾野 いま、うちはカーター財団といっしょに働いているのです。工作機械をダーッともっていって、まるで機械化部隊みたいに、いっぱい並べてやるようなやり方と違って、牛を飼わせる方式を採りました。牛と種です。 牛を飼うと、草を食べて、そこをきれいにします。そしてそこに糞をすると牛糞が肥料になる。それにクビキを付けて耕して、自分の食べるものを主にトウモロコシですが、それをつくるようにしたのです。そうすることによって、自分たちがまず食べられた。それ以上に輸出できるといういい結果が出てきたという話です。 私は、最初、(笹川)陽平さん(理事長)が調子のいい話を聞かされているんじゃないかと思っていたんです(笑)。そうしたら、ある日、陽平さんが嬉しそうな顔をされて、エチオピア大統領からカーターさん宛の感謝の手紙のファックスをもってこられたんです。「今日、初めて輸出する食料を積んだ第一便の船が出帆します」という内容の手紙です。嬉しい話ですよね。 ??こういう話はなかなか伝わらないですね。 曾野 そうなんでしょうね。私は伝えたいです。けれど、でもどうでもいいと思っているところもあるんです。いい仕事さえすれば、伝わっても伝わらなくても。それを伝えるのはマスコミですけど、私たちはひたすら働けばいいんです。そうすれば、あるときわかるかもしれない。それだけだと思います。 財団では、月刊誌をやっていました。それで、二億何千万円かかかっていたのですが、ぜんぶやめましょう。といって、やめました。それでその浮いたお金で、五十七誌の縦三分の一広告を買ったのです。『Voice』も買っていると思います、月一回ね。私がそのときいったのは、おそば屋にご飯を食べに行くおじさんが、店にある雑誌を食べながら読んでいるでしょう。ああいうふうに、雑誌を買わない人でも、どこかで財団の仕事のことが目に入るようにしたかったんです。そうしたら、五十七誌も買えたんです。 しみじみ考えると、雑誌をつくっている会社には気の毒をしました。でも私はそういうことには冷酷でした。 ??たしかに財団の新しいマークがいろいろなところで目につくようになりましたね。 曾野 今度のタンカー事故でも、三国町に一月二日の数日後から、ずっと若い職員が一人張りついて、こっちに細かく資料を送っています。それで、作業用のポンチョを三千着、それから、海上災害防止センターに緊急にポンプ(を買うために)二千八百万円を出しました。うちは仕事が早いですから。お役に立ちますでしょう。 ??お見舞金のほかにですね。 曾野 ええ。お見舞金は五百万円、三国町対策本部に、これは私が水引をかけて持って行ったのです。そのほかに野生生物救護獣医師会に対して五百万円、ボランティアに対して四百八十万円、三国ボランティア・センターに三百五十万円。これだけは出しています。 ??迅速さが大事だということがよくわかります。 曾野 早くしないと。お役所は何も買う気はない、というより予算がないんです。それでは仕方がないから、財団が買いましょう……。 ??イルカを助ける話は断わったと聞いていますが。 曾野 私が断わりました。 ??どういう理由でですか。 曾野 人間のお見舞いが五百万円で、イルカの移送費に一千万円といってきましたから、その場で断わりました。夜遅く電話がかかってきて、イルカを救って動かしたい……、その輸送費をといわれたときに、瞬間的に頭のなかで、百万円かな二百万円かなと思ったのです。即席の水槽みたいなのに入れて、運送屋さんに頼んで安くしてもらおうやという話なら、そんなもんかと素人は思うんですよ。でも一千万円というものですから、パッと断わったのです。人間のほうが大事ですから。 私は拒否権はずいぶん使っているのです。(会長を引き受けるに当って)ぜひやりますといったのは二つだけ、一つは、会長直属の忍者部隊の発足です。もう一つは、障害者と普通のランナーが一緒に走る神宮マラソンです。面白いんですよ。来年もつづけますけど。 ??先ほどもお話にありましたが、忍者部隊とは査察Gメンのことですか。 曾野 そうです。忍者部隊は、こっちから出ていって、ぬきうちで現場を見て、帰ってきて報告するというやり方で、今年は六割か七割がそうしたパターンです。これからは、だんだん定住型忍者というのを使っていきたいと思っています。今度のラオスの場合は、ここ何年間かラオスにすでに入っている日本人です。そういう面白いタイプの忍者を、だんだん増やそうとしています。 ??いま何人くらいおられるのですか。 曾野 実際に出たのが六人です。 ??もちろん、どなたかはわからないようになっているんですね。 曾野 そうなんです。新聞記者の方々に、教えてといわれましたが絶対にいいません。それでこそ忍者ですからね(笑)。うちはお金の関係は、いくらでも公開しますけれども、人のことはいわないんです。
「霞が関の秀才」は困ったもの ??財団は一月二十一日に小倉昌男ヤマト運輸前会長の評議員就任を認めない運輸省を提訴しました。その経緯を。 曾野 非常に単純なことなのです。うちは業務改善命令によって、評議員会というのをつくっていますが、欠員が二人できましたから、一人は小倉さんにしたい。前任者がいないために、自由な立場で一人、民間経営者を入れたいというので、小倉さんが候補に上った。私は昨年六月二十日に、こうしたことでいかがでしょうといわれまして、けっこうですといっているわけです。そして七月八日には、運輸省にこの話をしました。 そのときには運輸省からは、つぎのようなことしかいわれていないのです。候補者は数名明示して、運輸省と相談していただきたかった。二番目が、評議員会の構成委員は、十五名のうち三名はモーターポート業界で、六名はモーターボート競走法に明記されている対象事業に精通した者で、残りの六名が学識経験者で、小倉氏はどこに当るのか。三番目が、いま小倉氏がヤマト福祉財団にいる。それについて説明してほしい。これしかいわれていないのです。 ところが七月十一日に『読売新聞』が、軽井沢で開催された経営者トップセミナーの講演で、小倉氏が運輸省を批判した記事を掲載したのです。そうしましたら、その日の午後五時に問題になったのです。 ??運輸省で。 曾野 はい。さらに七月十八日に、『週刊新潮』の七月二十五日号が発売されました。それで、翌十九日に呼び出しがあったのです。運輸省不要論、運輸省管轄の公益法人不要論を公言する人が、なぜ運輸省所管の評議員として名前が上がるのか理解できない。再考してほしいということです。 七月二十日に(笹川)理事長が豊田事務次官を訪問して説明しました。このときも、はっきり、財団が申請しても、拒否することになるといわれて帰ってきました。 再度、七月二十四日に理事長が次官室を訪問した。そのときに、任期中、七十歳になる場合はやむをえないが、任期(前)に七十歳(前)であることが望ましい。二〇%は女性、関連業界のみではなくて、一般、学識、経営者のなかから(選任すべき)とか、三つおっしゃった。 ここではじめて具体的な三項目というのが出てきたのです。しかし、理事会、評議員会を決定する際に、これは知らされていなかったんですね。 (さらに運輸省が)考えてもらっている途中だと思っていたのに訴えられて意外だとおっしゃったのは、とんでもないことです。理事会決定しているのですから、それを財団が変えることなんてできるわけがないじゃありませんか。理事会決定というのは、そんないい加減なものじゃないでしょう。 ??運輸省から改善勧告が出て、きちんとした運営をしろということでやってきた。その手続きを運輸省自らが、ことごとく否定しているみたいな話ですね。 曾野 そういうことです。小倉さんは何ら身辺に非がおありになるというわけではない。しかも、評議員の十五人のうちの一人ですから。いろいろな考え方の人がいて、メンパーを見れば、小倉さんが何かいったからといって、ひっかき回せるような人たちではないですから。イザヤ・ベンダサンがいったことですけれど、健全なる状況というのは、反対者もいる状況だと思います。 私は考え方としては、一財団が一評議員を拒否されたというのは、天下の些事だと思います。しかし、官がそういう考え方をとるというのは、天下の大事に至る芽です。ですから訴えたのです。一財団のことはほんとうに些事です。でも、これはいけません。やっぱり筋は通さなければ。それだけです。だから、ほかのことについて、私たちは運輸省と何も喧嘩なんかしていません。むしろもっと協力を続けてやっていきたいと思っていますから。 ??訴訟は最後まで続けますか。 曾野 そうですね。筋道を認めていただけなければ。ただ、私個人は、軽率、早のみこみ、ケンカっ早いしようのない女なんですけど、組織としては、つねに穏やかな、常識的な、大人の解決を希望しているのです。 官庁も裁判を続けるとお金がかかりますもの。財団もお金がかかります。私はケチで、弁護士さんに払いたくないもんですから。その点で、運輸省と立場は同じなんじゃないかと思っています。(笑) 私たちなんか、こうやって(手を)上げかけても、相手次第ですぐ手を後ろに隠したり引いたりしますけれども、「霞が関の秀才」というのはそうした出る、引くをご存じないかもしれない。そこのところが問題ですね。(笑) 一小倉さんぐらい、適当に扱えばよかったんですよ、はっきりいいますと。つまり、小倉さんがどうこうではなく、世の中すべて、一個人、一企業家、一新聞記者、一小説家なんですよ。そういうものは、大きな動きのなかの軽いポイントだとお思いになればいいわけでしょう。だから私は亀井さん(善之運輸大臣=当時)にお手紙を書いたんです。小倉氏をお認めになれば、運輸省というところも公正な大人のお考えをもっていてくださるということになることが、マスコミにもわかります、という意味のお手紙でした。
小説家の生活とは矛盾しない ??最後に、一年間、非常にお忙しい毎日であったなと思うのですが、作家活動との両立は可能ですか。 曾野 先はわかりませんが、これまでの一年間は両立してきました。一週間のうち三日、財団の仕事をやって、四日、私の仕事をする。それで、いろいろなことで、まったく偶然、過去のことが役に立ちました。正直にいいまして、会長に就任した直後は、マスコミからかなり悪意があると思われる質問を受けました、「あなたは、こういうところへ来て、何ができるのですか、できると思うのですか」と。 作家というのは、いろいろな形で現実に引きずられて生きているなかで、それが夫の病気であろうと、浮気であろうと、貧乏であろうとすべて書くことに役に立つんです。ですから、私は作家の仕事が潰されていると、まったく思わないのです。面白いデータを得ようと思って財団に行っているんじゃないんですけれども、入ってくる。財団にとっても私が情報公開したほうが、風通しがよろしいでしょう。 私の財団の仕事には、大きくいって二つあることがわかったんです。一つは、大統領に会ったり、調印したりする私らしくない政治家的な仕事です。それから、私自身は忍者(の使い方)と、アフリカをいちばん知っていると思いますから、むしろ大事なのは、そっちのほうではないかと思っています。これは、小説家の生活とまったく矛盾しませんね。
とかく話題の多かった日本船舶振興会こと、日本財団とクリスチャンの作家として文壇で活躍している曾野綾子さん、ふたつのイメージがなかなか重ならない読者も多いだろう。 日本財団といえば、モーターボート競走を連想させるが、じつは年間六百億円をボランティア支援や海上事故防止、環境汚染の研究助成などに使う、日本最大級の援助組織という顔ももつ。 昨年一年で視察や会議で訪れた国は十一力国、さらに二十五回の会議、三十三回の理事会、三十七回の講演をこなすなど、はつらつとした仕事ぶりにまず驚く。本人によれば、すべて作家活動と両立させたうえで、である。 運輸省との対決を主題に始めたインタビューだが、忍者部隊の活躍、福祉やボランティアに携わる厳しさ、覚悟に話題は傾き、一時間半が瞬く間に過ぎた。 作家のみならず、クリスチャン、辛口の評論活動、そして二十五年に及ぶ民間援助団体の主宰者、と曾野さんを投影する像はいくつにもなるが、加えて、会長職が勤まるのはこの人をおいてない、とあらためて思う。 会長・曾野綾子さんを一言で例えようと大胆なことを考え、「しなやかな厳しさ」という表現を思い浮べている。ご本人の思いは別だろうが、ケンカも板についている、と付け加えたら叱られるだろうか。
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