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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 片手間の誠実  
コラム名: 夜明けの新聞の匂い 1997/10/06  
出版物名: 新潮45  
出版社名: 新潮社  
発行日: 1997/11  
※この記事は、著者と新潮社の許諾を得て転載したものです。
新潮社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど新潮社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   先月、私は新潮45編集部に頼んで、今盛んに話題になっているNPO法案に関する解説的な資料を集めてもらった。アメリカのNPO法案と日本が取り上げている「市民活動促進法案」とは、またかなり違うようだが、私は前にもその問題で講義を受けたことがあった。しかし私の頭がそういう世界を理解するのに向いていないらしく、それによって知識が定着したという実感が全くないまま過ぎていたのだった。編集部が与えてくれたものも、いわば素人が知っているべき最低の知識を集めたものだと思うが、私はまた読んでいるうちに眠くなってしまった。
 こういう法律ができるといい、という感情の流露がほとんどなかったのだろう。私は海外邦人宣教者活動援助後援会というボランティア活動をやって、いつの間にか丸二十五年が過ぎていた。ボランティア活動を全くやったことのない人に較べれば、いささかの感慨があっても当然だと思うのだが、私にはアメリカのNPO法案にせよ、日本の市民活動促進法案にせよ、私の考えるボランティア活動とはかなり離れて行きそうな感じがしてならなかった。もちろんこれは、法律の素人の私が、ごく狭い範囲の体験を元に感じたことに過ぎないが。
 私たちの海外邦人宣教者活動援助後援会はもちろん民法三十四条に定められた公益法人でも、特別法による社会福祉法人でもない。全くの任意団体である。年間の寄付収入は五千万円前後。寄付をしてくださった人たちは、延べ千六、七百人に達している。
 運営委員は九人。
 特徴の第一は、お金を出すプロジェクトを、海外の、主に田舎に活動の拠点をおいて、ひどい生活をしながら働いているカトリックの神父や修道女の企画を助けることにある。しかし寄付者の多くが仏教徒や神道者であることも考えて、キリスト教の祭儀や布教には、一切支出しないことを守っている。つまり神父や修道女たちには、その国の貧しい、或いは病気の人たちへの、医療行為、識字教育、給食、施設改善、活動のための車輌を買うこと、などだけに限って確実に使ってもらっているのである。この点では、宗教目的には使わないという、アメリカと日本双方のNPO法案とも同じ路線を取っていたことになる。
 もう一つの私たちの組織の特徴は、必要経費を全く計上していない点であった。それで寄付されたお金は全額援助に廻る。ここがNPO法案の考え方とは全く違うところである。
 必要経費はすべてそこで働く人たちが、仕事に応じて出している。「手紙は出して、電話をかけておいてください」と言うことは、切手代も電話代もあなた持ちです、ということである。電車賃も食事代も出さない。
 事務所は私の書斎で、そこにはワープロも電話もコーヒー機もあるし、切手も封筒も引出しにある。会合費は、飢餓の国を助ける会合に賛沢をする必要はない、という口実の元に、私の家で握り飯と漬物と豚汁を用意する。
 公認会計士の費用もただ。つまりその人のボランティア活動を利用している。
 NPO法案が成立すれば、事務所や電話などをその組織名で借りられたり、融資を受けられたりすることができるようになるというが、私たちのやり方では、融資を受けるなどとんでもないことだ。お金がないなら、借金などせず、あるだけの範囲でやればいい、というのが基本的考え方だからである。年間予算を立てたこともないが、入っただけ、できれば年内に使う、という素朴なシステムである。ただしいい案件がなければ、お金はむしろ翌年に持ち越す。
 今から二十五年前に、くだらない前後の経緯(私の作品を無断で翻訳出版した韓国の出版社に対して私が少しつむじを曲げたことがきっかけ)で、この援助会の前身になる運動が発足した頃、私は何度か法人にすることを勧められたこともあった。しかし私にはなぜ法人にしなければならないかが、どうしても理解できなかったのである。法人格を持てるほどのお金を集められる自信も時間もなかったし、法人にして長くこの組織を続けなければならない、という意気込みも全くなかった。私はこのことに限らず、いつも何かを始めた途端、もう収束することばかり考える癖があったからだろう。
 NPOのノン・プロフィットという言葉に、私は今でもかなり引っ掛かっている。NPO法案そのものが、私たちのようなやり方から見れば、プロフィットを得られるように傾いているとしか思えないからである。人数に制限があるとは言うものの、組織で働く人に報酬を出せるようになっているということは、組織としての利益ではなくても、この組織で「食う」人が出ることを示している。既に数年も前から、NGO(非政府間組織)にさえ、そのための一種の弊害とは言わないまでも、あまり望ましくない傾向が見えていたはずである。つまり「食うだけ食わせてくれるなら、NGOででも働こうか」という半ば失業救済を目当ての人が増えていたのである。
 余程大きな組織なら別である。専従の人がいなければ、事務的な連絡も人員を割り振ることもできないだろう。しかし多くの小さな非営利のボランティア活動というものは、時間か、お金か、労力か、そのどれかを捧げることであって、お金は受け取らないものだ、と私は昔から信じて来たのである。
 私たちの組織は、全員が忙しい人々であった。主婦もいれば、事業をしている人も、修道女もいる。みんな恐ろしく時間がない。だから、現場にかけつけて古着を配布したり、識字教育を手伝ったりすることは全くできない。私たちは純粋に資金援助団体に徹する他はなかった。なぜなら、ボランティア活動は「片手間」なのだから、そのことのために割ける時間も自ずから限られている。それだけに、現場に出ない私たちは一種の引け目を覚え続けていたのである。
 しかしいつのまにか、資金援助だけを専門とするNGOは非常に少なくなっていて、労働力だけを持って参加する人を多く抱える組織が増える傾向にある、と言う。NGO活動をやることによって、儲けないまでもどうにか食べられるだけの収入を期待する人々の、一種の半就職狙いの要素が増えたのである。その時、初めて私たちは、純粋に資金だけを供給する組織の稀少価値を知らされ、少し慰められたのであった。
 私はNGO活動などというものは、生活に余裕のある人がするのが自然だと思う。こういうことを言うとすぐ、お前は自分に金があることを言いたいのだろう、と怒る人がいるのだが、そんなことではない。
 もし私がまだ幼い子供たちを抱えたシングル・マザーで、子育てに、時間的にも、金銭的にも、体力的にもせいいっぱいなら、私はボランティア活動などしない方が誠実だ。
 しかしそういう場合でも、上の子供が少し成長し、下の子供の面倒を見ていてくれる、ということになると、私は少し変わって来るだろう。月に一回でも、老人ホームに出かけて行って、洗濯物の手伝いをするようになる。ということは、もうそれだけ、私は時間と金銭において余裕が出たのである。金銭、時間、労力、の三つのどれにも余裕がない場合は、ボランティアなど逆にしてはいけないのである。
 NPOは市民の自発的な意志に基づいて設立され活動をするというのだから、これはボランティア活動とみて差支えないだろう。
 しかも非営利なのだから「それに係わるすべての人は、普通の意味では時間的、金銭的、労力的に儲からないか、損をするのが当然」と私は今でも考えている。こういう考え方は今ではもう古典的だと言う人もいるかもしれないが、もしこの基本姿勢を失ったら、ボランティア活動の精神はたちどころに失われるだろう、と思う。そこに奉仕以外のいささかの要素??つまり働いてもいいが、損はしたくない??という要素が加わったらその瞬間から、NPOの精神はくずれて腐って行く方向を辿ると思われる。
 NPO法案のもう一つの重大な柱は、寄付をする人に税制上の優遇措置を与えて、会社や個人が寄付をし易くするということらしいが、この制度はよく考えられているようで、実は大きな力を持たない、ように思う。
 今巷間に信じられているのは次のような論理である。NPOは寄付で活動をする。しかし個人からの寄付には限度があるから、足りない分を営利法人である会社からの寄付に頼るのが普通である。しかし現行のままNPOのような任意団体に出すのでは、会社はその寄付を損金として扱うことはできても、経費で落とすことはできない。だからNPO法案では、寄付をした会社が税の優遇措置を受けられるようにして、寄付をし易くするのだ、という考え方である。
 しかしこれは、私の体験では全く見当違いなのである。世間には金を出さない二つのグループがいることを私たちは体験的に知った。2K、つまり会社と金持ちである。
 バブルのような時期で、会社がどんどん儲かっている間はいい。会社もおうような気分でお金を出す。しかしバブルが弾ければ、真先に切るのはこうした寄付である。税の優遇を当てにして出すようなお金は、心がこもっていないから、ほとんど継続性がないのである。
 私たちの組織に寄付をくれた人には、会社は一件もない。五千万円はすべて個人の贈り物である。「お金持ち」は四、五人いるが、後は大企業の関係者でも、個人のポケット・マネーから出してくれるケースばかりだった。
 或る新聞社が昔、税制の優遇措置が受けられるようになったら、外国人の奨学金制度を発足させるという企画をしていたことがあった。そんなことを当てにせず、とにかく話題性だけで個人のお金を集めて出発なさったらどうですか、と私は勧めたのだが、免税の措置なしにお金は集まらない、と決めて彼らは仕事を始めようとはしなかった。しかし結局、優遇措置は受けられなかったのでこの案は不発に終わり、私の差し出したささやかなお金は、留学生の奨学資金には使われず、「留学生を慰める会」と言ったつまらない企画に使われてしまった。
 NPOの活動は、各人の本業の残り時間にやるものだ、と私は思っている。本業の残り時間ではなく、専従にするのなら、それははっきり言って営利である。
 まだ私が日本財団の会長になるはるか以前、笹川陽平理事長は私の海外邦人宣教者活動援助後援会のことを聞いて「財団にも海外援助の枠がありますから、よろしかったら申し込んでみてください」と言ってくれた。
 しかし私は即座に感謝して断った。当時は私たちが受ける年間の寄付金は五百万円くらいだったような気がするが、それでも私は、それだけのお金をきちんと使って行くことで手いっぱいで、予算が増えることなどとんでもない、という感じだったのである。
 そういうお金を受けたら、私たちは申し込み書に始まって、会計報告に今よりもっと人手と時間を費やさねばならなくなる。誰がそんなことをする時間があるのだ。
 私たちは、郵政省の国際ボランティア貯金からのお金も受けようとしたことがなかった。我々は誰もそういうことのために膨大な書類を作ったり、それを提出に行ったりする時間も才能もないことを自覚していた。世の中にはこういう時に提出するための書類作りだけはうまい人を抱えている組織もあるらしいが、その点私たちは全員が能無しであった。
 編集部が私に与えてくれた資料によると、NPO法案に関する与党案の主なものは、所轄庁を都道府県知事とし、二つ以上の都道府県に跨がる場合は、経済企画庁長官とするという。設立時の提出書類は、申請書、定款、役員名簿、役員の就任承諾書、住民票、会員名簿、誓約書、財産目録、二年分の事業計画書、収支予算書など、だという。
 私たちは二年分の事業計画など出せるわけがない。飢饉も洪水も火事も突然起こり、そこで初めて人々は困って私たちに助けを求めるのだから。或いは他の国から当てにしていた援助が或る日突然、一通の手紙で打ち切られる。それで思いついて私たちに肩代わりを頼んで来るのである。貧しい人たちは、その時々で緊急避難的なお金がいる。収支の予算など、立てられるわけがない。だから私たちはたとえ仕事を続けるとしても、決してNPOの申請はしないだろう。そしてまた今のままで、私たちはどこも不便を感じていない。
 ボスニアヘの物資支援を空路で行っていたイタリアのNGOのチャーター機が、いつか狙撃され、墜落したことがあった。もちろんパイロットと乗組員は死亡した。
 マスコミは残ったNGOのメンバーにインタビューした。
「こうした危険な援助は続けるつもりですか」
「必要なら。それが援助というものでしょう」
 危険だから止める、と彼らは言わなかった。危険だから保険の制度をもっと整備して欲しいというような要望もなかった。
 私はそこにボランティア活動の一つの基本的な姿勢を見たのであった。それは、更にもう一つの声を思い出させた。
 いつか「国境なき医師団」の一人のフランス人麻酔医は日本で講演した時、私たちの「戦乱の国へ行って医療活動を行う時、その国の医師法にどう対処するのですか」という質問に対して、穏やかに答えたのであった。
「ここに傷ついた人がいる。そしてここに、彼を助けられるかもしれない医師がいる。それ以上に何が要りますか」
 ボランティア活動は、それに係わるすべての人々が「損をしている」間は堕落を免れる(もちろん「精神的には与えられる」のだが、今そのような複雑な話はやめにすることにする)。しかし同じ損でも、時間や少しばかりのお金を損することと、たった一つしかない命を差し出すこととは、比較にならない。
 私たちはイタリアの救援組織のようになれなかったことを骨身に染みて知っていた。そうした活動に命を賭ける人たちだけがほんもので、私たちは援助活動をしている、と言うこともはばかられるほどの安易な地点で仕事をしていた。
 NPO法案が整備されればされるほど、ボランティア活動は、その奉仕の精神を失い、商業化するだろう。国連が膨大な数の職員を抱えて今肥満し切った体で機能し兼ねているように見えるのと同様、今にNPOは、専門職でもない、アルバイトでもない、奉仕でもない、という不気味な素人集団を生温く食わせる温床になりかねない。二十一世紀には、そうした「ボランティア業」が流行しそうな予感もする。
 



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