共通ヘッダを読みとばす

日本財団 図書館

日本財団

Topアーカイブざいだん模様著者別記事数 > ざいだん模様情報
著者: 歌川 令三  
記事タイトル: 台湾料理とはなんぞや?“複雑系”の島国紀行(上)  
コラム名: 渡る世界には鬼もいる   
出版物名: 財界  
出版社名: 財界  
発行日: 1997/03/25  
※この記事は、著者と財界の許諾を得て転載したものです。
財界に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど財界の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
  びん南料理プラス…
 台湾に数日滞在した。二回目の訪台だ。この機会に「台湾とは何か」について、思いをめぐらした。それはかなりの難問である。台湾の知識人をつかまえては、このテーマをめぐる“知的格闘技的会話”を交わしてきたのだ。
 なぜ、それを会話の主題に選んだかというと、一冊の台湾の学者が書いた本がきっかけだ。私は外国に出掛ける際は必ず何冊かの本を持参し、飛行機やホテルで読むことにしているが、その中のひとつ、載国輝編『もっと知りたい台湾』(弘文堂刊)に刺激された。
「人は自らのマスでしか、他を計れない。自らを単一民族と思っている日本人が、複雑な顔をもつ台湾の像をとらえるのは容易ではない」と、この本のはし書きにあったからだ。
 複雑系、台湾の旅。まず料理をテーマに選ぶ。台湾料理は日本人の口によく合う。「○(火へんに考)烏魚子」。カラスミのスライスを大根の薄切りにはさんで食べる料理だ。安くはないが(一皿四千円見当)珍味だ。“ボラの卵”が赤みがかっているのが特にうまい。「莱補蛋」。切干大根のオムレツである。屋台で食べた特大の一皿、四百円。「什錦炒米粉」。五目焼きソバ風のもので、エビ、イカ、野菜がふんだんに入っている。サツマイモ入りの白ガユ、「蚋仔(シジミのしょうゆ漬け)」もいける。
 同行の台湾のジャーナリスト二人と外交官夫妻によれば、これが典型的な台湾料理だという。だが「台湾料理とは何ぞや」となると、難しい。「それは台湾とは何ぞやを知る入り口である」というのだ。この人たちの解説を、後刻、書物によって補足したのだが、つまりこういうことらしい。
 台湾料理の原型はびん南料理にあった。これに五十年に及ぶ日本の植民地時代、その後の中華民国国民党の統治で、それぞれの食文化の影響を若干受け、今日の台湾料理が出来上がった。
「おいしい」といったら、二人のジャーナリストのうち、日本語のわからない若い女性ニュースキャスターがクスッと笑った。彼女いわく、「その発音は、台湾語でYou shall dieという意味よ」と英語で教えてくれたのである。台湾語の原型はびん南語であり、北京語とは全く異なる。「OISHIIは給(H0)他(I)死(SI)(汝に死を給う)と書くのだという。「ああ、おいしい」。今度は、私も含めて一同、笑いころげた。
 台湾には、台湾語、北京語、それに一部日本語世代がいる。世代間の会話が不能なケースもあるという。そのためか、台北のホテルで見たTVの台湾語のドラマには、北京語の字幕がついていた。台湾という島国は、要するに複数言語圏なのである。全土の二千万人の人口の中の三十万人の少数民族高山族には、タガログ語が残っている。いまでもフィリピン人と会話が可能だとのことだ。
「紹興酒」をしたたか飲んだ。これもびん南の酒かと聞いたら、「いや、これは違う。外省人が持ってきたのだ」という。台湾を理解するには、「外省人」と「本省人」という二つの単語の意味を知っておくことが必須条件である。台湾の住民は、三つの種類がある。ポリネシア系の「高山族先住民」、そして四百年前から福建、広東の大陸から徐々に移住した漢族系台湾人。先住民とこの人たちを含めて「本省人」といい、住民の八五%を占める。これに対し「外省人」とは日本の敗戦の一九四五年以降、大陸から移った漢民族をさしている。少数派だが長らく戦後の台湾を支配した。
 昨年、初の民主的選挙によって就任した台湾の初の大統領・李登輝氏は、多数派の「本省人」である。彼は自らを、「私は、台湾人だ」と言った。「外省人」のシンボルは、蒋介石総統である。四九年、国共内戦で敗れた国府軍と官僚システムが大挙、台湾省に移住した。政府高官おかかえの腕のいいシェフたちも一緒にこの地に渡り、後に料理店を開業したという。だから台北には、北京、四川、山東、湖南などあらゆる種類の中国料理があり、本場をしのぐ味を提供しているとか。
 さて、「紹興酒」である。この酒の原産地は台湾ではなく浙江省の紹興だ。台湾で生産されるようになったのは、蒋介石時代だという。この酒は日本でもおなじみで、台湾産と中国産の双方が輸入されているが、台湾産のほうがどちらかというと甘口だ。この酒は、蒋介石の夫人で、浙江財閥の娘、宋美齢の提唱で台湾で現地生産されたという説もあるとか。「蒋介石がもたらした食文化であることは確かだ」と、宴席をともにした、いずれも「本省人」の知識人たちはいう。原料はモチ米である。「モチ米を蒸してコウジを入れる。造り方は日本酒とよく似ている。紹興はコメと水がよい。それに有能な秘書や補佐官タイプの人物を輩出する土地でもある。周恩来がそうだ」と同席の台湾の辛口の雑誌の編集長が解説してくれる。
「老酒と紹興酒の違いは……」
「老酒も紹興酒さ。昔、娘が生まれるとカメいっぱいの紹興酒を造った。賊に盗られないように土に埋める。娘が女になったとき祝いに、その酒を掘り出す。十五年の古酒のニックネーム、それが老酒だ」と。
 台湾料理とそれにまつわる会話のはずむ中で、ひとつ、“ある違い”に気づいたのである。台湾料理のルーツは中国大陸だが、味もさることながら、中国料理が大皿を共有して、それぞれが小皿に取り分けるのに対し、台湾料理はおおむね、一人分か二人分の小皿にあらかじめ盛りつけられている。「なぜか?」と問うてみたのだ。
 変なことを考える変な日本人。その後、「怪異日本人」という親しみをこめたニックネームをもらったが、食卓を囲んで、英語、日本語、ときには北京語の単語まで交えて、やり合った結論は、どうやら日本植民地時代の影響ではないか、ということに落ち着いた。みそ汁、のり巻き、おでんは台湾料理として定着している。刺し身もある。一人皿で食べる日本料理の様式が台湾の生活文化にしみ込んだのではないか、というのだ。
 台湾は食に限らず、四つのハイブリッドの文化を持つ島だ。高山原住民、鄭成功(近松門左衛門の国性爺合戦の主人公)を元祖とする漢人系本省人文化、台湾総督府のもたらした日本文化、そして、蒋介石統治下の中国大陸文化。これにアメリカ文化も、色濃く入っている。
「食」の世界にのみ、限定されるのなら、“複雑文化の多様性”もまた楽しからずやだ。だが政治、外交、軍事となると、複雑にからまるさまざまなしがらみが生じ、それがこの国の人に苦悩の日々をもたらしている。
 



日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION
Copyright(C)The Nippon Foundation