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旅をしていると、時々振り返って見返り美人のように、光景を眺めている人がいる。 「もう二度と来られないと思うから、光景を眼にやきつけようと思っていたの」 とはっきり答えた人もいた。 私もそんな思いになったことはある。サハラ砂漠を横断する旅をした時、ガルダイアという世にも端正なオアシスの町に立ち寄った。それは、砥の粉色の砂漠の岡の上に、白やブルーの鮮やかな色を塗った民家の屋根が、中腹から頂上にまでべっとりと続いている小さな町であった。二本の、モスクのミナレット(塔)は、岡の角のような位置に生えていた。 その時のことを私は『砂漠、この神の土地』という作品の中で次のように書いている。 「ガルダイアを去る時、我々は、町を一望することのできる岡の高みに止まった。不思議なことだが、私はそこで初めて、一つの祈りを作れたのである。 (中略) 私はただかくも静かに能弁で、厳しくひたむきで、複雑でありながら玲瓏とした地球を見せて頂いたことを感謝したのであった。私は問答無用に美しいものによって優しさを、厳しいものによって秩序を、醜いものによって悲しみを、痛ましいものによって愛を推測し得た、と言えるであろう。そしてそのような想いを私の胸から吐き出させたのは、眼前のガルダイアの町であった」 それからほぼ二十年経った現在のガルダイアは、どんな町になっているであろう。再びガルダイアを見ても、それは最早私の見たガルダイアではなくなっているかもしれない。市場ではトマトやキュウリや玉葱、或いは手織りの絨毯や金物細工を売っていた。迷路のような細い坂道はロバの糞で滑りそうだった。そして洞窟のような暗い家の戸口の奥から、まだ幼い少女が、じっと私たち異邦人を窺っていた。 「私が柄にもなく祈りを作ることができたのは、恐らくもう二度と再びこの町に来ることがないと思ったからであろう。(中略)そして再び見ることができないという想いほど、人間に或る邂逅をいとおしく思わせるものはないのである」 私は今でも一つの町を去る時、もう生きて再びここには来ないだろう、と必ず思っている。しかし私は振り返ることはしない。見返る姿がさまになるのは、美人だけなのだ。 その代わり、私はいつも、「ここも見た」「あそこも見た」「ありがとうございました」と心の中で呟いている。「見た」ものは決して景色だけではない。どの町でも、私は、悲しみも、諦めも、歪んだ人生そのものも「見た」。だからもうこれでいい、という気持ちなのである。 人間が何かをし尽くして死ぬことはできない、という一種の制度は何とよくできたものだろう。それでこそ、人間は心も軽く死ぬことができるのだ。
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