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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: ナイフ通達?使い方教えなかった失敗  
コラム名: 自分の顔相手の顔 128  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1998/03/17  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   文部大臣が緊急アピールを出して、人命を奪うことの恐ろしさを訴えた上で、「ナイフを持ち歩くのはもうやめよう。学校に持って来るのもやめてほしい」という通達を出したという。
 そんな記事を読んでいるうちに、私はふとうちの場合はどうだったかを思い出した。
 ユダヤ人は十三歳になるとバル=ミツヴァという成人式を行う。日本では元服式は十五歳だったという。うちでは改まってそういう式もできなかったのだが、その頃、私たち夫婦は孫に二つのものを贈った。
 スイス製のアーミー・ナイフと聖書である。ナイフは本当は私たちが買って与えるのが当然だったのだが、緒方貞子国連難民高等弁務官に頂いたUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)のマーク入りのものがあったので、それを記念に与えることにした。ナイフ騒ぎの始まる数年も前のことである。
 聖書とナイフというのは、深い意味がある。聖書は、自分の命を棄ててでも人を救うことを教えた書物である。もちろん現実には、私をも含めて多くの人間は利己的なものだから、他人を見捨てて自分が助かろうとするのが普通なのだが、聖書はそのような人間の醜い姿をよく描く。しかしそのような弱い人間も「もしかすると」人間離れするほど、忍耐と愛において強い人間になれるかもしれない、という希望を抱かせる書物でもある。
 ナイフの方は、本来人間の生活を支える重要な道具である。そうでなければ、どうしてUNHCRが備品として作ったりするだろう。UNHCRの現場スタッフは、文明とはほど遠い土地の難民の中にあって、いつも携行したナイフで臨機応変に罐詰を開けてやったり、ちょっとした機械の不調を直したり、応急手当ての包帯を作ったり、すべて人の生命を保つ手段として使うのである。彼らUNHCRのスタッフが、難民や同僚を刺したなどという話は聞いたことがないだろう。
 聖書は心を、ナイフは肉体を「生かす道具」であるはずだ。その使い方を、教師たちも親たちも教えられなかった、というのは、教育の大きな失敗であった。今ナイフを持ち歩くな、というのは致し方ないかもしれない。しかしそれは病人にお粥だけお食べなさいというのと同じである。ナイフを持たないのが、平和の証だというのは、必ずしも正しくない。ナイフを破壊的な行為に使わないことが、知恵と勇気なのである。
 孫は私たちにナイフを贈られた当時は、きれいなサックに入れていつも持ち歩いていたようである。大人になったと思われたことが嬉しかったのだろう。しかし電話をかけて聞いてみると、最近は全く持っていないという。人間小さなことには、気楽に妥協し、世間の規則に従うべきだ。しかし少しでも未開な土地に行く必要ができた時には、生存のために、また人と自分を生かすために、すぐさまナイフを身につけて使える心構えも必要だ。
 



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