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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 大根の煮付け?年を重ねれば見えてくるもの  
コラム名: 自分の顔相手の顔 305  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 2000/01/25  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   舅はイタリア文学者だったのに、若い時から乳製品が嫌いで、チーズもバターも食べなかった。姑が先に亡くなり、舅が一人残って、次第に食が細った頃、私は或る日、カテージ・チーズを少し出してみた。すると舅は意外にも「これはうまい」と言った。お豆腐料理だと思ったのかもしれない。もっとも舅は非常に礼儀正しい人だったから、出されて口にしたものは、最初から「うまい」というつもりだったのかもしれないが、私は単純に、何でもいいから、舅の食事の量が増えればいいので「しめしめ」と思っていたのである。
 私は味をしめてヨーグルトも、「プリンみたいなものですけど、召し上がってみます?」と言って出してみた。これも「これはうまい」と合格になった。
 昔は年を取れば取るほど、頑固で拒否的な態度を取るものだ、と思われていたが、実は心の広くなる年なのではないか、とこのごろ考えを改めるようになった。
 我が家の猫も、獣医さんの記録によると二十二歳なのだが、今までは一番安い鶏肉のささ身とカツオのなまりだけで生きてきた。しかし最近では、チーズもお豆腐も食べる。先日は夫に騙されてコンニャクまで食べた。
 単純に考えても、好きなものが増える、というのは楽しいことだろう。ましてや、一見悪いことの中にも意味が見えるようになったら、ほんとうに生きて来たかいがあるというものである。
 子供の時、私は大根の煮たのが嫌いだった。こんなものをどうして大人はわざわざ作るのだろう、と不思議だった。お弁当のおかずに大根の煮付けが入っているとうんざりしたし、隣の友達がやはり大根の煮付けをおかずに持たされているのをみると、同情した。
 茄子もあまり好物ではなかった。茄子の煮付けなんて、薄汚くて食欲をそそらない。それなのに、大人になると、私はそうしたものがすっかり好きになった。私の廻りにも、私と同じような変化を感じている人がたくさんいる。
 大根も茄子も、私のような素人でさえ、調理法は幾通りか知っている。和風レストランヘ行っても、お料理のうまい友人の家に行っても、さらに変わった趣向で大根や茄子のお料理を出してもらえるので、その一部の「秘法」は教えてもらったり、秘かに味を盗んで来たりして、早速家で作ってみる。
 大根と茄子ばかりではない。人のおもしろさも、私は年を重ねるごとに見えるようになった。その人が立派だと思う点がよく見えるようになるのは一つの快感だが、正直に言って、その人の欠点が見えるようになる時もある。しかし欠点だと世間で言われ、親もそう思い、当人も薄々自覚していることであっても、それが意外と社会で有効に働くことがあって、それにもびっくりするのである。欠点が有効に働くなんて若い時には考えもしないことだった。
 



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