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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 人生?悲しみの中にも充足を感じ…  
コラム名: 自分の顔相手の顔 109  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1998/01/12  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   シンガポールの住宅地に朝七時頃立っていると、まだあたりは暗い。もちろん夜明けの気配は充分にあるのだが、時差が日本とわずか一時間しかないので、こちらの朝七時は、家の中で電灯をつけなければ朝食の支度ができない。背中にカバンを背負った小学生は、暗い中でスクールバスを待っている。
 そのまだ夜明け前とでもいいたいような朝風の中を、背中にハンドバッグ代わりの小さなバックサックを背負った東南アジア系の顔をした女性たちが、足早やに歩いて行く。近くのコンドミニアム(日本風に言うとマンション)で働くメイドさんたちである。
 フィリピンの女性たちが多いが、彼らの生活は否応なく私たちの目に触れる。プールサイドで子供たちを遊ばせていることもあるし、テラスでモップを動かしている姿も見える。日曜日の教会は、半分がこうした出稼ぎの女性たちではないか、と思うほどである。
 彼女たちは二年に一度しか国に帰らない。日本人だったら、飛行機で二時間半くらいで帰れるのなら「盆暮れ」くらいには帰ったらよさそうなものだと思うだろうけれど、彼女たちは出稼ぎに来てお金を溜めなければならないのだから、そんな無駄はしない。
 既婚者も多い。子供を母親や姑に預けて、彼女たちは二十代から五十代くらいまでをずっと異国で働いて家に送金する。今では字を書けないという人は少ないだろうが、女盛り、子供の成長を見られる貴重な年月、夫婦の会話が一番大切な時期を、そうしてほとんど別れて暮らすことに、私などは心が痛む。
 彼女たちは、日曜日になると必ず教会へ行く。そこで、ひたすら神に家族の健康と幸福を祈る。人間は運命に翻弄されるから、神以外に家族を本当に守ってくれる力のある存在はない、と実感するのである。
 頼むことはいくらでもあるだろう。夫が浮気しないように。母親の病気が直るように。怪我をした弟の足が直って再び働けるようになるように。長男に悪い友達がつかないように。娘がレイプされるような事故に遇わないように、お頼みすることは山のようにある。
 教会の後は、週に一度の楽しみや情報の交換をかねて仕事仲間に遇う。サラリーの高い職場にすぐ動こうという気分になるのもこういう時だ。会合の場所は、街角や公園など、いずれにしてもお金のかからない所である。
 人権もへったくれもない。彼女たちは生きるための道を自分で選ぶ。そしてその中で、悲しみはあっても、充足も感じている。自分が一家を文字通り食べさせ、家を修理し、子供にできるだけの高等教育を施し、兄弟の治療費を出し……つまり自分が一族の大黒柱として「与える立場」にいる光栄を背負っていることを感じている。それが人生なのだ。
 それがまだ暗い中から通ってくるメイドさんたちの爽やかな足取りの理由だ。そして南方の夜明けの風は、彼女たちに無言の祝福を送るように、心地よく吹くのである。
 



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