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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 病人の幸福感?「癒し」の“演出”なぜやれぬ  
コラム名: 自分の顔相手の顔 131  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1998/03/30  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   病院は「癒し」の場所だというのに、どうしてこれほど世界的に見て豊かな日本の病院が、病人を治すという方途に関しては心遣いもなく、制度も遅れているのだろう、と悲しくなる。
 病室は基本的に個室であるべきことは言うまでもないが、私の友人が今入院している公立の病院には、電話もファックスもEメールも受け付けてくれる設備がない。
 家族や友人が入院中に、見舞いに立ち寄るのは不可能な場合がある。見舞う方の時間がなかったり、病院が遠かったり、病人の方で疲れてしまうから来てほしくないという場合も多い。けれど、毎日のようにちょっと一言書き送ることが可能になったら、それを読むことのできる病人はどんなに大きな慰めになるかしれないと思う。
 病人の最大の癒しは、喜ぶことだろう。大きな喜びではなくても、ちょっとした小さな気分の転換、幸福の予感だけでも違うと思う。幸福感ということは、医師が計算できないほどの治癒効果をもたらすはずだ。ビートたけしさんの司会する「アンビリバボー」という番組にも、免疫不全のまま育ち、余命幾許もないと言われた少年が、向かいの家に引っ越して来た若い軍医を好きになる。彼が大統領に出した一通の手紙が国防省を動かすことになり、病気の少年は合衆国陸軍の最年少の兵士として任命される。その喜びが彼の延命に役立っているという話を紹介していた。
 喜びと癒しの関係は、いい感じの男女の仲のようなものである。病院も、治すのは自分たちの医療行為だけではなく、病人の幸福感、目的意識、未来だということを理解して、治療方法の中に取り入れたらいい。
 もし毎日ファックスやEメールが読める制度ができれば、病人は、友人知人家族の日常を、時差なしで感じられる。それは、病人が見捨てられていないこと、家族の直中にあるということの、何よりの証になる。病気になどなっていられない。早く治って帰って、夫と娘のケンカの仲裁をしなければならない。レトルト料理ばかり続いているらしいから季節の野菜を料理して皆に食べさせたい。鉢植えの花を枯らせるようなことが続いたら花がかわいそうだ。そう思わせることが生きる力になる。これらのサービスにはお金がかかるだろうが、その分は有料でとればいい。そしてこういう仕事には、高齢者の再雇用が一番いいのである。
 家族のない高齢の病人には、「若い友人」とでも名づけられるようなボランティア組織が、時々その人と文通をする青年を捜してマッチ・メーキングをしたらいい。或いは、高齢の病人に、もっと高齢の病人の心の支えになる役目を、入院のまま振り当てることさえ可能になる。今の病院の制度はあまりに無能すぎる。厚生省は戦前とあまりかわらない官僚的な運営の仕方に甘んじていることに、少し気がつくべきではないのだろうか。
 



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