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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 難民支援?感謝していない、それどころか  
コラム名: 自分の顔相手の顔 208  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1999/01/25  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   一月十一日の朝日新聞(編集部注=同日付夕刊)は、このほどヨルダンを訪れた高村正彦外務大臣が、ハッサン皇太子の案内でアンマン市内にあるマルカ・パレスチナ難民キャンプを訪れた時のことを報道している。高村外相は国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)の関係者から、人口増加や国際社会の関心低下で難民一人当たりの援助受取額が一九七〇年代に比べて約三分の一となっている状況などを聞いた。
 高村外相は「日本国民に援助(継続)を説得するには援助が評価されていることが必要だ」としながらも、「私が来たからにはヨルダンのパレスチナ難民への支援は減額しません」と即断で約束した。
 私がヨルダンとイスラエルのパレスチナ難民キャンプに行ったのは一九八五年だが、そこで私はずいぶん新たな知識を学んだ。もちろん貧しい難民にもたくさん会ったが、カットグラスのコレクションをしているような裕福な難民もいたのである。キャンプの中に居住していれば医療費も要らず、粉や油のような基本的な食料も支給される。当時私の家にはまだなかったビデオを持っている人も多く、難民キャンプの中に貸しビデオ屋が繁盛していたのも驚きであった。難民と認定されることが、一種の「難民業」としてなりたち得ることを私は初めて知ったのであった。
 高村外相は、つまりパレスチナ人たちが、日本の援助を認識し感謝することを望まれたのだろうと思うが、私の体験は全く違うものであった。
 当時最大の援助国はアメリカで、日本がその次だったと記憶するが、キャンプの中のインテリである或る女性教師は、口を極めてアメリカの悪口を言った。それで私はつい不愉快になって、「そんなに嫌いなアメリカから、あなたはどうして援助を受けるのですか」と質問した。すると彼女は急にいきり立ってアラブ語でまくし立てたが、私はこういうこともあろうかと思い、アラブ語の分かる女性(正確に言うと日本国籍を取得したレバノン人)を秘書として同行していた。この臨時秘書の話によると、女教師は、「アメリカは自分たちがパレスチナ人に対して悪いことをしているという自覚があるから金を出すのだ。そういう相手からはもっと取ってやればいい」と言ったのである。
 感謝どころか、金を出すのは相手がやましく思っているから出すので、もっと取るべきだ、という考え方もパレスチナ人にはあるのである。日本的反応でパレスチナ人は金を出してくれる国には感謝するだろうななどと思ったら、大きな間違いである。
 この女教師は「こういうことを言う人間(私のこと)は誘拐してやったらいい」とも言ったそうで、そのことを私が国連パレスチナ難民救済事業機関のアメリカ人の所長に笑い話として話すと、所長は以後、私を自分のラジオカーに乗せ、決してタクシーの使用を許さなかった。
 



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