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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 副知事?都議会の恐ろしくも不思議な論理  
コラム名: 自分の顔相手の顔 239  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1999/05/24  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   石原慎太郎新都知事が、議員時代の腹心の秘書を副知事に据えることを全員一致で否決したという話を聞いた時、私は改めて都議会の恐ろしさを感じた。票が割れて一部が反対したというなら話がわかる。しかし石原さん以外がすべて反対に廻ったと聞くと、恐ろしいのである。
 或る人を評価する時、必ずばらつきが出るのが普通である。初めから、その人が副知事になる資格がないというなら、その理由を議会側ははっきりと都民に示すべきだろう。しかし新聞の報道によれば、「力量がわからない」「組織との繋がりがない新人には仕事ができない」という内容であった。
 これはまことに不思議な論理だ。
 まず第一に、誰もが初めは新人なのだ。その仕事の分野で、新人でなかった人など一人もいない。誰でも初めはへまをやらかし、そんなことも知らないのかとあざけられ、とんちんかんな受け答えをして恥ずかしい思いを体験する。そうした徒弟時代を経て、初めて人は一人前になる。そのチャンスを私たちは常に若い後進に与える心構えでいるのが普通だ。都議会には、そういう常識がないか、石原さんの腹心に実力があり過ぎると見てシットしたかのどちらかだろう。
 第二に、組織の構造を知り、それを使いこなしてこそ、政治は実際に動くものだ、ということを私は否定しない。しかしそれは一面の真実である。長年組織を知って来た人は、発想の飛躍ができない。だから組織の実態に沿って政治をする人と、組織を破って政治を行おうとする人と両方いるに越したことはない。三人の副知事のうち、二人が以前からの都庁の建物の中の住人、一人が外部からの新参者、という人事は、まことによいバランスが取れていたと思う。しかし多分、石原さんが自分の腹心を引き込むということが一種のネポティズムと見られ、「君側(くんそく)の奸(かん)」を作る恐れがある、と思われたのだろう。しかし個人的な特別秘書よりは、副知事にしておく方が、すぐ荒(あら)が見えて始末がよかったのではないだろうか。
 アメリカでも、南米の多くの国々でも、大統領が変わると「側近一団」を自分で連れて来る。その方が現実に仕事ができるからである。大統領が変わると、テレビ局の局員でさえ前大統領の筋にいた人は仕事を失うことになる現場にい合わせてびっくりしたことがある。それを見送る人も、それが当然だという顔で、去って行く人に、「まあしようがないことだから、新しい職場で元気でやれや」という感じで淡々と送り出している。
 もっとも私は、石原さんが都知事としてどんな目に遇(あ)っても、あまり同情していない。小説を振ってまで、自分で選んだ道である。小説は女々(めめ)しい嘘っぱちを書く仕事だと都議会の議員たちは思っているかもしれないが、実はそんなものではない。恐ろしく男性的で総合的で、体力も気力も必要とする仕事だ。小説を書くことで鍛えられた人間は、たいていの厳しい仕事に耐えるのである。
 〈編集部注〉ネポティズム=縁故主義
 



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