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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 引きこもり?強制的な集団生活の場もほしい  
コラム名: 自分の顔相手の顔 438  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 2001/06/05  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   最近、引きこもりの子供も大人も増えたそうだが、それは幼い時から少しずつ、嫌なことと辛いことを、強制的にさせる癖をつけていないからである。昔は嫌なことばかりしないと、今日のご飯がたべられなかった。しかし今は嫌なことはほとんど何一つしなくても、お腹も空かず、不潔を我慢する必要もない。
 おもしろいことに、自信というものは、辛いことと嫌なことができた時につくのである。

 しかし奉仕活動さえ、自発的でなければだめだとか、奉仕の内容が専門の教育と関係しているのか、などと言っている人間理解のできない人が教育の現場にいる間は、多分引きこもりも増えるだろう。学問も知識も、広範で強靭な人間性ができていてこそ、初めて目的も使途も見えるのである。今は、「学問や知識のある人間」さえ作ればいいという不気味な時代で、人間が徐々に機械に吸収されて行っているのが見える。

 学校に行きたがらない子供たちは、一刻も早く親から離すことが解決法の第一歩である。こうした子供たちの多くは優秀なのだから、別に暮らしさえすればむしろ素直に親との心理的関係も繋がって行く。

 私の働いている財団では、ここ数年、引きこもりの子供たちのための寄宿学校の建設を助けて行くつもりだ。田舎の自然の中で、野菜も作り鶏も飼い、一人っ子でも兄弟がいるのと同じような生活をする。そうした濃厚な人生体験がその子を健全にし、学問や仕事のまっとうな意味の発見や目的の選択を可能にする。注目すべきことは、別に引きこもりではない子でも、そうした自然の中で、他人にもまれて成長させよう、という親が出て来ていることだ。だから田舎の寄宿学校が、別に引きこもりの子だけの特別な学校ではなくなる傾向にある。

 テレビで、自宅にいるままIT授業が受けられ、単位も取れる仕組みを作った高校か大学かが紹介されていた。今後そうした時流に媚びた教育機関がたくさん出るかもしれないけれど、学校というものは、同じ場に同じような年頃の若者が集められて影響し合い、時にはいじめたりいじめられたりし、切磋琢磨(せっさたくま)し、こんな不思議な人間がよくもこの世にいるものだと呆れ返ったりしながら、教育されて行く場所だと思う。

 私のように集団生活の嫌いな悪い性格でも、十七年間の学校という「強制的な集団生活の場」があったことには、深く感謝している。
 



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