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フジモリ前ペルー大統領が秘密の蓄財をしているという話は、今後もし正当な調査が、はっきりした第三者の証明可能な証拠つきで出されるのなら、初めて信じられるだろう。その結果を私は期待しているが、私なりの印象も裏話もある。
百四日間、フジモリ氏は恐ろしく禁欲的であった。私は歌舞伎くらいこの際ごらんになったらと言ったが、それも結局はなさらなかった。遊びの気配は一日もなかった。電話、執筆、たまの散歩、私の家の近くの簡単なレストランでの食事、それくらいのものであった。
人は、共に暮らしてみればわかる、と私は作家としての勘で思っている。もしどこかに何十億円もの蓄財があれば、人は隠そうとしてもかならず態度に出てしまうものだ。作家の鼻は意外と鋭く、眼はいつも思わぬ角度から観察してしまうのが、習い性となっている。
一度「不正蓄財」の記事が新聞に出た時、フジモリ氏は何というでたらめを、という表情で「あったらあなたに半分あげるよ」と笑われた。ちょうどその時、近くに警察関係者もいらしたので、私はすかさず「お聞きになりましたよね。私が半分頂けるんだそうですから、あなた証人になってくださいね」と言った。実は私は算数が下手で、すぐ桁を間違えるのだが、その時のいい加減な「取らぬ狸」計算によると、私は自分の分として十億円くらいは山分けに与かれるはずであった。だから私は今、フジモリ氏に不正蓄財がある方に期待しているのだが、あの質素さをみると私の夢はほとんど叶えられそうにない。
一度お姉さまがアメリカから訪ねていらしたことがあった。戸籍のことで熊本までいらっしゃると聞いたが、私は当然、同じ区内にある羽田空港までタクシーでいらっしゃる、と思っていた。しかし後で家の者に話を聞くと、お姉さまは電車とバスを乗り継いで行くと言われたので、家の者が蒲田駅までご一緒して空港行きのバスにお乗せした。日本語は充分お話しになるが漢字は読めないお姉さまは、帰りもまたバスと電車で帰られたらしい。
私はフジモリ家にしっかりと残っているこうした質実で健全な庶民感覚が好きだった。お姉さまも「電車とバスで行けるのにタクシーに乗って高いお金を出すのはもったいない」とまっとうな市民感覚でものを言われる。
まもなく作家の鼻の感度が、意外と悪かったか良かったか、証明されるだろう。
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