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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 聖地巡礼?砂漠で野営「悠久の時」体感  
コラム名: 自分の顔相手の顔 34  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1997/03/18  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   毎年、四月に、私は体と眼の不自由な方たちと、「聖地巡礼」という呼び名がついている旅行をしている。イタリアにも行ってローマ教皇に謁見も賜るが、主にイスラエルの旧約と新約の土地を、きちんとした講義つきで聖書を勉強しながら旅行するのである。
 この旅行は、一九八四年に始まり、年一回ずつ、今年で十四回目になる。特徴は障害者もボランティアも全く同じ費用で参加することで、すべてのお世話は、純粋に同行者の友情で行われるのである。私の役目は、見えるものをすべて口で描写することである。つまり古風な言い方をすれば「野球の実況中継」だ。素早く的確に、見えているように話す。作家が訓練して来た領域である。
 去年から私は、グループをイスラエル南部の砂漠に住むベドウィン(放牧民)のテントに泊める晩も旅程に入れた。砂漠に野営するなどということは、普通の人がなかなかできる体験ではないからである。
 ベドウィンのテントでは、簡単なマットを敷いた砂の上で寝袋にもぐり込むだけだ。男も女も数十人が一つテントの下で風に吹かれ、隙間から星の見える夜を過ごすのである。
 初め人々は、野営するとはどうすることかさえわからなかった。「寝巻はどこで着替えるのですか」という質問もあった。野営とは、顔も洗わず、歯も磨かず、服も着替えずに、ごろりと横になることなのである。それは実に楽しい単純生活の極で、一度やったらやみつきになるほどの爽やかなものだ。
 私はほんとうは、テントの外で自然のトイレを経験してほしかったのだが、考えてみると、七十人もの人がいっせいに自然で用を足したら、やはり大地も汚染される。定住のおかげで教育もでき商才もあるベドウィンたち(こういうのをベドウィンと呼んでいいかどうかは問題のあるところだが)は、客が来るとなると、水洗つきの簡易トイレを設置した!
 しかし車椅子の人たちが砂地をトイレまで辿り着くには、必ず誰かの手助けが要る。私たちはいつでも目覚めた障害者が気楽にトイレに行かれるように、男たちを中心に、寝ずの番を結成した。西部劇のように、テントの入り口の焚き火の傍で、不寝番をするのだ。
 私たちは実に楽しかった。インディアンが襲ってくるわけでもないが、不寝番は必要な任務だった。しかし日本にいれば、割当てられて不寝番をするなどということは、ほとんどの人が今までに一度も体験したことがなかったのだ!
 たまに立ち上がって背を延ばすためにテントの外へでれば、悠久の時間を思わせる満天の星であった。ついさっきまで、ベドウィンの一人がコーヒー豆を煎って引いて飲ませてくれた焚き火の火が、ぽつんと赤く見える。
 一人の筋萎縮症の人が言ってくれた。「生きてこんな砂漠まで来れるとは思いませんでした」
 彼は来たのだ。そして私たちも来たのだ。
 



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