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クリントン大統領とホワイトハウスの元実習生モニカ・ルウィンスキーとの間の親密な関係の話は、アメリカ人は好きらしいが、私はうんざりする。この手の騒ぎの体験者である私の友達も「ヒラリーが怒っているならこれは大変なことなんだけど、ヒラリーが許してくれたんなら、それでいいんだよなあ。はたがごたごた言うこたぁないんだ」とわかったようなことを言う。 まず女房が煩(うるさ)いから、ちょっと嘘をついた、というところまでは、そこらへんにいくらでもある話で、小説家としてはまことに同情的になる。この手の嘘はたいてい呆気(あっけ)なく見破られる。女房に見破られるだけでなく、早い遅いはあっても、秘書や友人まで、ほとんどすべての女が嗅(か)ぎつける。女性の勘の鋭さはこういう場合サメか警察犬並みになる。 その結果男というものは、地位や教養に関係なく、実にくだらないことに嘘をつくものだ、とあきれられるのが落ちなのだが、人間は誰でもくだらないところを持っているものだから、それも敢えて言うほどのことではない。 しかし大統領がモニカと愛を誓い合い、「まだ君を思っているよ」というメッセージを伝えるために、贈られたネクタイを締めるという約束を守って、そのうちの一本を堂々と身につけて公衆の前に出た、ということになると、話は少し別である。 大陪審に出頭するほど、事件はごたついているのに、そこに至ってもまだ「ヒミツの愛の関係を続けられる」と思うほど現状がよく掴(つか)めない大統領は、日本語で言うと「甘ちゃん」だということになる。 「甘ちゃん」も普通の人なら特に悪いわけではない。先天的な詐欺師とか、すぐにキレてアタマに来るような性格からみれば、無難な人である。ことにその人物が作家なら大ベストセラーを書ける一つの条件と見なされる。 しかしそれがアメリカの大統領となると困るのである。大統領は用心深い人間でなければならない。たえず裏を考え、先を読み、最悪に備え、世俗の道理をよく弁(わきま)えたストイックな人物でなければ勤まらない。 別れた女にネクタイでサインを送る、というようなことは、普通の人には許されもするし、実行可能な行為だ。しかし大統領には許されていない。こういう甘い読みをする人は、同じ種類の過ちを将来も再び繰り返すだろう。「先が読めない」大統領は、個人として身を誤るだけでなく、アメリカ合衆国と世界が、その愚かさに振り回されるから適任ではないのである。 私としては「だから大統領になどなるのはおよしなさい」と言いたくなる。作家なら女房に隠した女がいても、作品のネタになる。女房とは大喧嘩になるだろうが、廻りの人は笑って聞くだけだ。 アメリカも不幸な指導者を持ったものだ。クリントン氏は、小説家になるべきだったのだ。
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