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ハンセン病制圧に情熱を IDEAの略称で呼ばれる国際組織があります。日本語で「共生・尊厳・経済向上をめざす国際協議会」と呼ばれるこの組織はハンセン病から回復した人々による国際ネットワークです。ハンセン病が投薬により完全治癒する病となったにもかかわらず、不治の病とする誤解は根強く残っています。無知から来るこうした偏見、差別に立ち向かい、患者や回復者自らが力を合わせ、社会復帰していこうと四年前設立されたものです。 WHO(世界保健機関)は一九九一年、今世紀中のハンセン病制圧を目標に掲げました。この期限設定の中心人物が日本出身の国際官僚、WHOの中島宏事務局長です。六十八歳の中島博士は東京医科大学からフランスに留学し精神神経分野で学位を取得、一九七三年にWHO入りし、八八年には事務局長に就任しました。日本人離れした個性の強さと、フィールドワークをモットーとする並外れた行動力から誤解される面もあったようです。 しかし、ハンセン病制圧にかける情熱には頭が下がります。博士は来年七月には退職されますが、開発途上国から退職を惜しむ声がしきりです。日本財団は過去二十年間、ハンセン病制圧活動を支持していますが、常に中島博士から適切なアドバイスを受けてきました。 「ハンセン病制圧」とは、人口一万人あたり一人以下の患者となった状態を意味します。今世紀中に「制圧」を達成するためには、あと二百九十万人の投薬治療が必要です。これは可能な数字です。今日、ハンセン病対策は患者や回復者の社会復帰をどうするのか、つまり偏見、差別をどう解消するかにシフトしてきているのです。 十月末、IDEAはニューヨークの国連本部で「尊厳を求めて」という展示会を開催しました。ハンセン病制圧の歴史、世界各国から参加した回復者の写真、履歴書などを展示するものです。私も開会式に参席しました。日本からはハンセン病そのものと闘い、加えて世の偏見、差別とも闘ってきた森元美代治さんが出席。五十九歳の森元さんは、自らを「深海の魚」に例え、回復しながらも、人目を避けて生きざるを得ない苦しみを切々と訴えました。 無論、開会式には中島事務局長の姿もありました。開会式に続く夕食会で、私は二十五カ国から集まった回復者の皆さんに「日本の相撲には長い間、闘い抜いた力士に敢闘賞を贈り、たたえるならわしがある」と述べ、「敢闘賞」のメダルを贈りました。 テレビライトの前で、回復者の泣きながらの抱擁を受け、私は勇気ある人々の社会復帰にかける熱い思いを感じていました。
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