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著者: 歌川 令三  
記事タイトル: あの武蔵丸はトンガ人“巨人国”訪問記  
コラム名: 渡る世界には鬼もいる   
出版物名: 財界  
出版社名: 財界  
発行日: 1997/03/11  
※この記事は、著者と財界の許諾を得て転載したものです。
財界に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど財界の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
  ハダカの王様は伝説
 私のデスクの上に、三人の王様と一人の女王の写真で表紙を飾っているぶ厚い本がある。題名は『トンガ王憲法、制定百年記念の小史・一九七五年刊』だ。しかも To Mr. Utagawa Hope this book will help your understanding of Tonga(この本が貴方のトンガ理解に役立ちますように一九九六年七月十九日)というサインが入っている。贈り主は、この国の総理大臣バロン・バエア氏の娘さんで、ジャーナリストのルシアナ・ルアニさんだ。
 半年も“積ん読”をきめこんでいたのだが、先日、この本を通読してトンガ王国の歴史を知り、この国への興味が倍加した。やっぱり旅は、観光と土産と食事だけではない??とつくづく思いつつ、昨年の夏の三日間の短いトンガ紀行の筆をとることにした。
 あの国は遠くて不便だ。成田から八時間で、隣の国のフィジーへそこから毎日は飛んでいない飛行機で、首都のあるトンガバウ島へ出かけたのだ。日本より時差にして四時間東にあり、日付変更線に密着している。世界で一番早く日の出が見える国ということになっている。泊まったホテルの名が、「International Date line Hotel(日付変更線ホテル)」で、「時間の始まる国」と看板がかかっていた。
 この国の人はとにかく大きい。国王のツボウ四世は身長百九十センチ、体重は百キロ以上もある。表敬訪問するつもりだったが、心臓病の検査で米国旅行中とのことで、七十三歳の総理大臣バロン・バエア氏と会見することになった。さて、はたと困ったのは服装である。ツボウ四世のことを日本では“ハダカの王様”と呼ぶ人もあるが、あれは伝説で、正装は半ソデのYシャツとネクタイだという。半ソデのYシャツ探しに首都のヌクアロファの街にショッピングに出かけた。といっても九万六千人がこの国の全人口なのだから、村の商店巡りをしたと言ったほうがより正確かもしれない。だが、やっと見つけたMサイズが、日本サイズではXL、やむなく場違いの長ソデのYシャツで蒸し暑さを我慢した。
 バエア総理も巨人である。英人、ジョナサン・スイフトのガリバー旅行記の巨人国のモデルはトンガである、という説は、どうやら本当らしい。だがスイフトの見たトンガ人は、背は高いが、今ほど太ってはいなかった。トンガ人の肥満化は、ここ二十年ほどの現象というが、なぜそうなったのかは、後日判明した。それは後述するとして、このすばらしいクイーンズ・イングリッシュを話す総理大臣と対面して、いきなり「関取」を連想してしまったのである。
 まずは相撲談義に花が咲いた。「トンガ人は、日本では相撲とラグビーでおなじみなのだが、残念なことに今は上位の力士がいない」と切り出したら、「私の村の出身のペニタニを知らんのかね」とけげんな顔をされた。「ホラ、何といったかなあ」と私の旅行のホステス役をしてくれた娘のルシアナさんに聞く。「ムサシマルよ」と彼女が助け舟を出した。
「エッ。武蔵丸はハワイ出身の米国人では……」と私。「彼は正銘のトンガ人さ」とバエア総理。「彼が九歳のとき、両親が職を求めて米領サモアに出稼ぎに行き、そこからハワイに移住した。彼の父親のナヌウ・ペニタニは故郷に戻り老後を送っていたが、昨年の四月、心臓病で亡くなった。私も葬儀に行ったが、フィアマル(武蔵丸)も日本からトンガに戻ってきた。フィアマルはトンガ人であることを誇りにしているし、トンガ人も彼を自慢にしている」という。
 この国の週刊英字新聞トンガ・クロニクルの、葬儀の記事を見せてもらった。大きな写真が掲載されている。ペニタニ家の前で半ソデの喪服と黒のスカート姿の二人の大男が並んでいた。バエア総理と武蔵丸である。身長も腕の太さもほとんど同じ。多分、体重もあまり差がないのではないか。
 トンガ国は、二千年の歴史をもつポリネシア人の本家である。十世紀には、武蔵丸の育ったポリネシア人の島ハワイにまで勢力圏を拡大していた。
 キリスト教(メソディスト)と「近代」を導入したのも、ハワイより古い。立憲君主国の英国を真似て、憲法を制定したのが一八七五年。明治憲法よりも十数年早い。それ以前のトンガは、神と王とタブー(禁忌)の支配する島であった。英語のTABOOはトンガ語のTAPUが語源。「勝手にサンゴ礁の外に出るな」「許しなく大きな魚をとるな」「土地は神の子の王のものであり、勝手に耕すな」などなど。違反者は処刑された。
 タブーは、限られた空間で一定の人口が暮らすためにあみ出された知恵の産物である。だが、人口が増えるとともに、タブーによる慣習が邪魔になり、欧米の植民地をのぞけば南の島では最初の、近代的成文法をもつタブーはご法度の王国となったのである。一八七五年憲法は百年後の一九七五年の新憲法にバトンタッチしたが、旧憲法にも信教の自由(ただしキリスト教以外の宗教の布教はご法度)、あるいは法の不遡及の原則がきちんと書かれていた。「大きな魚(海亀とかカツオ)を酋長が独り占めにするのは違法」などというタブーを禁じた面白い条文もある。
 古くから憲法をもつ王国ではあっても、この島国の最大の泣きどころは土地の制約である。百五十の島からなるトンガの面積は、島を全部合わせても日本の対馬くらいしかない。だから憲法で土地は王のもので、農家は家父一人当たり八エーカー(三・三三ヘクタール)の借地権が与えられるとある。借地権は長子相続である。だから二、三男はこの王国では暮らしてはいけない。武蔵丸の両親がハワイに渡ったのもそのためだ。トンガ人の海外移住者と出稼ぎは六万人、国内に住むのは常に十万人以下というスリムな人口を保っておかねばならない。
 いま、トンガ王国は人口のみならず、人間そのもののスリム化に国をあげて取り組んでいる。ポリネシア人は元来、他の人種に比して体重に対する筋肉と骨の比率が高く、ラグビー、ボクシングなど瞬発性を要求されるスポーツに最適とされていた。しかし若い人々はともかく、中年の太り過ぎが目立っており、この説もだいぶ怪しくなってきた。肥満化の原因は、イモ類と魚介が中心の食生活が、欧風化したからだ。とくに脂身の多い安価な羊のパラ肉をオーストラリア、ニュージーランドから大量に輸入し、これを好んで食べるようになった。魚介類は乱獲によって資源が激減し、一般庶民は高くて手が出せない。それならば、運動によって減量するのが一番というわけで、エアロビクスやジョギングを国が提唱、政府主権の懸賞金つきの減量コンテストに約千人が参加する。一年に四十キロもスリムになった豪の者いるとか。
 



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