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五月十一日の教育改革国民会議では、ここのところ十七歳が立て続けに犯す犯罪に対して、何も意思表示をしないのはおかしい、ということになった。 もちろん今度の事件に心を痛めない人はないだろう。これが長年「新しい、進歩的で、民主的で、平等を重んじた、開かれた、日教組的」な先生たちがやって来た教育の結果なのである。 日本の教育の現状は比較的簡単に救えると私は思っているが、中には、もう病状は重体か危篤の段階で、救うのには三十年はかかるだろうと言っている人もいる。 アピールは座長の江崎玲於奈氏の名前で出されることになっており、最初の文案に対しては、反対意見が多かった。今さらこんなありきたりの文章を出されるのは困る、という立場の委員もかなり多かった。 結局、会議の終わるまでに座長は委員の意見もかなり入れて文章をなおされたし、私は卑怯な意味ではないのだが、江崎座長の名前で出されるなら、それでいいと思った。 そもそも複数の人で出すアピールなどというものを、作家が承認できるわけはない。もちろんどんな作家も、自分の意見や著作が絶対のものだ、などと思っているのではないだろう。しかし、それがもし、くだらないならくだらないなりに、それは隅々まで私でなければならないのである。文章というものは、一言一言に、その人なりの意味の軽重や含みを計算して言葉を選んでいる。いかなる人とも妥協はできない。 だから私はアピールには名を連ねない。アピールを出す趣味のペンクラブは脱退している。 座長個人の名でも、こういうアピールを出されるのは困る、という強硬な意見を出す委員もいた。でも私は座長の個人的な意見を拒むことはできないと思った。それはまた言論の弾圧である。だから、大変もめた結果の妥協だということを、大いに外部に語ればいいと思っていた。それも一種の情報公開だ。 会議が終わって私は一番早く会議の部屋を出た。すると四人の新聞記者に「アピールは出ますか?」と聞かれた。いつも会議の内容ではなく、推移だけを気にする質問である。 それで私は、「ええ、うんともめましたけど、お出しになるようですよ」と答えた。すると新聞記者たちは色めき立って「意見の一致を見なかったんですか?」と内紛を嗅ぎつけたような口調になった。作家などというものは、相手の言葉の裏の裏をかんぐるように生まれつきできているのである。 それで私は答えた。 「当たり前でしょう。こんなことに意見の一致を見たら、それは社会主義国家のやり方ですよ。もめて当然でしょう」 新聞記者たちは若いのだから仕方がないのかもしれないが、もう少し複雑で哲学的で本質的な質問をするように各社訓練してほしい。そうすれば、会議の後の「情報たれ流し」がもっと楽しくなるだろう。
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