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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 敬友録「いい人」をやめると楽になる  
コラム名: この著者に会いたい   
出版物名: VOICE  
出版社名: PHP研究社  
発行日: 1999/04  
※この記事は、著者とPHP研究所の許諾を得て転載したものです。
PHP研究所に無断で複製、翻案、送信、頒布するなどPHP研究所の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
  聞き手:淵沢進(フリーランス・ライター)
悪いことも口にしてこそ会話
??昨日までチェルノブイリにいらしたそうですね。
曾野 ええ。日本財団の仕事でベラルーシにいっていました。
??故・笹川良一氏のあとを受けて会長職を引き受けられたのが九五年十二月。本書のなかでも当時の経緯が書かれていますが、三年あまりがたった現在、会長としてのお仕事ぶりは、どのようなものでしょう。
曾野 前会長はよくも悪くもワンマンで、いっさいをトップダウンで運営してきた方。海洋船舶振興から社会福祉、国際協力など財団の関連事業すべてをトップ会談で計画、実行なさってきたんですね。ですから大きな仕事をなされる人です。対して私の場合は“ダウンダウン”(笑)
??トップ会談で決することはしない、ということですか。
曾野 いえ、やはり国際協力事業ともなるとトップ会談は必要。たとえば、アメリカから農業協力の申し出があれば、担当閣僚との会談が不可欠になります。でも、トップ会談というのは、私の性には合わないんです。だって、むこうは支援してもらいたいから通り一遍のことしか口にしないでしょう。いいことも悪いことも口にしてこそ人間の会話。ですから、こういう私の感覚が受けつけにくい仕事は極力避けて、理事長の笹川陽平さんに任せることにしているんです。(笑)
??“ダウン”のお仕事というのは、PR活動ということになりますか。
曾野 それと、申請してきた組織の現状調査。
??曾野さんの場合は、PRといっても机上の活動にはとどまりませんね。
曾野 事前の視察、事後の評価活動のために、必ず現場に足を運びます。貴重な資金を無駄に使わせないためです。事後の評価に関しては、「忍者部隊」という抜き打ち検査の部隊を会長直属の機関として設けました。必要なくてもそこでトイレを借りたりするんです。トイレを借りるとだいたいその家の様子がわかるんです。はたして私腹を肥やしたりはしていないか。こういったことまでチェックします。
??本書の〈疑うということは、少しも恥じるべきことではない〉という字句が思い浮びますね。チェルノブイリでもやはり、視察に回られたのですか。
曾野 ええ、まだ放射能が普通以上に高い地域の民家に立ち寄ってきました。いまでも住んでいてはいけない地域に人が住んでいるんですね。そのなかのある一軒。なかへ入ると、どうも馬小屋のようなにおいがする。で、気になってお邪魔したら、これは年老いたご夫婦の糞尿のにおいだった。話をお聞きすると、彼らは国から支給される、ドルに換算して毎月八ドルのお金で生計を立てているらしいんです。で、食べるものといったら汚染された野菜もまじっているでしょうね。そして、ウオッカ。でも、「アルコール度四〇度以上のウオッカなら放射能もはねかえす」なんて笑い話が一般的なんです。一方で「お金をくれないか」と、悪びれずに要求する。ああ、人間がいるなあ、と感じますね。外国を歩いていると。
??まさに〈腐りかけの果物、心が病んでいる人間は社会や周囲に往々にして迷惑をかけるが、しばしばすばらしい芳香も放つ〉という、曾野さんの言葉そのままの状況です。
曾野 ほんとうに、世界を歩いていると、とくに中高年の人に、存在感のある人が多いことに感動します。その人らしい、その人の名前以外にありえない存在。悲しみも喜びも愛も憎しみも刻み込んだ表情を見ていると、話をしなくても、その人の人生の厚みが窺われるようです。年老いて、こういうふたつとない存在感のある人間になれたら、それで人生は成功したといっていいと思います。
??日本では、自然と格闘する第一次産業が縮小してから、そういう“巌の顔”をした方が減ってきた気がします。
曾野 そうかもしれませんね。自分の人生を従容として受け入れることができず、すべて世の中から与えられるものだ、与えられるべきだと考え、少しでも不足があると不満を感じる人が増えているような気がします。
 
光ばかり見て影を見ない
??たしかに、私ども戦後生れの世代のなかには、世の中には「いいこと」ばかりあるべきだ、「いい人」ばかりいるべきだ、という幻想があります。
曾野 ところが、人間、神様ではないから、そういうわけにはいかないんですね。本書にも書きましたが、むしろせっぱ詰れば何をしでかすかわからないのが人間。実際、一昨年、白骨が累々と横たわるルワンダ内戦跡地を視察してきましたが、ルワンダの内戦では、あらゆる人が自分が生き残るために人を殺したといわれています。修道女でさえも、直接ではないにしろ間接的に殺戮に加担したといわれています。私は、白骨を前に日本語でお祈りを捧げましたが、途中「われわれの罪を許したまえ」といったところで、ついに絶句してしまいました。それを、読売新聞の記者の方が引き継いでくださった。不完全な人間が宿命的にもつ罪の深さについて、アフリカや中東からはほんとうに多くを学びました。
??そういうお話を伺うと、あらゆるところに「抗菌グッズ」が氾濫する日本がいかに異常か、思い知ります。細菌や病気、あるいは死といった“マイナス要因”を日常の生活から遠ざける発想ですね。
曾野 光ばかり見て影を見ない。だから、ほんとうの光も見えなくなる。
??曾野さんの小説は、自称“土木小説”たる『無名碑』以来、光の当てられない部分を見つめてきました。
曾野 土木はね、好きなんですよ。船も好きですが。どちらも私たちが生きていくうえでなくてはならないものなのに、何故か不当に低く評価され、ちょっと問題が起きると袋叩きにされる。こういうところを応援したくなるんですね。日本財団に来たのも、そういうところがありますね。もともと、ここは何も隠し立てするようなところではなかったのですし。
??本来は、あまり表舞台に立ちたい方ではいらっしゃいませんよね。
曾野 ええ。だって、かなり以前に「いい人」をやめた張本人ですもの。(笑)
??そういえば、七九年に書かれた『神の汚れた手』は女流文学賞に選ばれながら、受賞を拒否されています。これも、晴れがましいことが苦手だったからですか。
曾野 いえ、それは、悲しかったからなんです。というのも、私が一生懸命に書いた『無名碑』なんて候補にすら挙がらなかったのに、白内障を患ったとたん、選ばれた。当時はまだ若かったから、「どうせ同情されて賞に選ばれたのだろう」と思いました。私は、三十代のころ、鬱病に悩まされていて、そこを抜け出して書いた作品が『無名碑』だったので、思い入れも強かったのですね。いまは、もう年をとって、自分のそういうすべてが受け入れられるようになったから、懐かしく思い出しますが。
??そういう経緯があったのですか。でも、白内障の手術に成功してからあとは、堰を切ったように、執筆活動にも社会活動にも活躍されました。
曾野 もともと好奇心は旺盛なほうですから、目が見えるようになったら、なんて世界とは美しいものかと感動して、何から何まで見落したくなくなってしまった。たとえば、電車に乗るでしょう。すると、隣の男性の着ているワイシャツのシミまで「これは、どうしてついた何のシミだろう」と気になって仕方がない。もう、疲れちゃって。夫(作家の三浦朱門氏)に「何でも見過ぎ」とたしなめられたりもしました。(笑)
??本書と同じ出版社から出された作品に『戒老録 自らの救いのために』があります。これは、曾野さんが四十代のころに初版が出て、五十代で増補、六十代で完本として都合百数十回にわたり増刷されてきた超ロングセラー作品ですが、それぞれの「まえがき」を比較してみると、だんだん茶目っ気たっぷりの求道者に変容されてきたようで「年を重ねるっていいことだな」と思われてきます。
曾野 だんだん心の動きが自然になってくるんですね。いいものですよ。
??最後に今後のご予定を。本書の「まえがき」には、こうあります。〈私の人生の残り時間ももう多くはないが、まだ書きたいものはある。それらのテーマを表わす作品の予定を整理していたら、内容はすべて人間の悪の姿だった〉。
曾野 現在、『狂王ヘロデ』を執筆中です。そもそも、小説は悪なくして成り立ちません。それに、キリスト教の教えも性悪説。だからこそ、悪を意識してはじめて善が行えるわけですね。印象派の絵画のように、これからも、人間の影の部分を描くことで光を浮き彫りにしていきたいと願っています。といっても、自分の力などたかが知れているので、気負うことなく、私らしく私の人生をまっとうしたいですね。
 
※この記事は、淵沢進(フリーランス・ライター)氏の許諾を得て転載したものです。淵沢氏及びPHP研究社の著作権を侵害する一切の行為を禁止します。
 



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