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著者: 笹川 陽平  
記事タイトル: カーター元米大統領 2)  
コラム名: 地球巷談 14  
出版物名: 産経新聞  
出版社名: 産経新聞社  
発行日: 1997/04/06  
※この記事は、著者と産経新聞社の許諾を得て転載したものです。
産経新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど産経新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
  米国の補完外交のすごさ
 一九八六年、アフリカ諸国の食糧増産計画を進めるため、カーターさんとアフリカ四カ国を六日間で回った話を続けます。
 最初の訪問国、スーダンはクーデター直後の軍事政権下。カーターさんは「早期に民政移管しないと国際社会から孤立する」と、肝心の農業の話はそっちのけで軍事政権関係者を説得していました。翌年、本当に議会選挙が実施され、マハディ政権が誕生しています。
 次の訪問国、タンザニアでの会談相手は初代大統領を引退直後のニエレレさんとムウイニ第二代大統領でした。社会主義国家の建設をめざして失敗したニエレレさんは「特に農業政策は失敗だった。ぜひ力をかしてほしい」と私たちの計画に積極的でした。
 このアフリカ歴訪では国際政治の厳しさを身をもって体験しました。ロンドンからスーダンに飛ぶ直前にレーガン米大統領がリビアのトリポリヘの爆撃に踏みきりました。ジェット機にはカーターさんが同乗しています。リビアにハイジャックされてはと、フライトナンバーを急ぎ変更する一幕があったのです。カーターさんがいるところ、いかに短時間滞在であれ、ホワイトハウスとのホットラインが設置されます。党派をこえ、元大統領が現政権と緊密な連絡をとり、補完外交を展開する米国のすごさを改めて知らされました。
 さて、アフリカの指導者たちも役者ぞろいでした。ザンビアのカウンダ大統領は十数年ジャングルで戦い続けた人物。歓迎晩さんの席上、突然起立し、真っ白のポケットチーフを手にいならぶ閣僚を合唱団にし、革命歌の指揮を始めたのです。照明も落とされ、薄暗い宴席でのこのパフォーマンスは一種異様なものでした。
 ガーナのローリングス大統領(当時、暫定評議会議長)との会談も印象的でした。身の丈一八Oセンチをこえ戦国武将を思わせるひげづらのローリングス大統領は迷彩服にサングラス。CIA要員が逮捕され反米感情が高まっていたときであり、のっけからカーターさん相手に猛然と反米演説を始めたのです。父は突然立ち上がり「ガーナ国民が困っているから来たのだ。あんたを助けに来たのではない」と一喝。これで状況は一変しました。大統領は予定外の朝食会の準備を命じました。
 彼の母親はガーナ人、父親は英国人、父親とは疎遠でした。そうしたことが彼の性格に影を落としているのかもしれません。後日、大統領は「父親にしかられているようだった」と肩をすくめてみせました。ちなみに、彼の趣味はプラモデル。なんとなく指導者の孤独を感じます。
 



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