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抜いても、抜いてもまたバイク ハノイは二度目である。ベトナムの首都ハノイの中心街から、北西にバスで田舎に向かう。紅河にかかる巨大な鉄橋、昇竜橋を渡ると農村地帯に入る。紅河は長い川だ。中国の雲南省に源を発し、ハノイで二つの川と合流し、そして東に向かう。全長千百四十キロ、ベトナムという国は、北から南に細長い。北には四季があり、南はいつも夏である。地図で見ると、インドシナ半島の右端を細長くS字型にこの国が位置しており、さながら竜が逆立ちしているように見える。 紅河は、その竜の尻尾の部分で、ハノイを貫通してトンキン湾にそそぐ。ハノイとは漢字で書くと「河内」。もっとも昨今のベトナム人は漢字を知らない。中国の文化支配から脱するために、フランス人の知恵を借りて、漢字を音標文字であるラテンのアルファベットに変更してから久しいからだ。ハノイを漢字で読めば、その意味は日本人にはすぐわかる、河の中、つまり流れで造られた扇状地(デルタ地帯)である。日本に「河内」さんという苗字があるが、ベトナム流に表現すれば、「Mr.HANOI」になる。 ハノイ近郊の田舎道。ただし舗装はしてある。どこまで行ってもバイク、抜いても抜いても、またバイクであった。バスは頻繁に警笛を鳴らす。「危ないからどいてほしい」といっているのではない。「俺は通るぞ!」と宣言しているのだ。二年前にもハノイを訪れたが、いまベトナムは急速に変化している。あのころは、ハノイにはモーターバイクはまだ少なかった。それが人口二百万の首都ハノイで、バイクは八十万台、人口四百五十万人のホーチミン市では百六十万台もあるというのだ。 十一月初旬のハノイは、米の収穫の季節である。この国の北部農村の秋は黄金一色で、たたずまいは日本の田舎と酷似している。ただし、七月中旬に田植をして、十一月初旬にかり取る。二毛作も可能だ。稲刈のスゲ笠姿の農民の群の頭上を、ハノイ・デルタの涼風がよぎる。バイクを駆る「Mr.&Ms.HANOI」たちは、心地よげに車やバスを避けつつ、家路を急ぐ。そのやり方は、後に目がついているのでは……といぶかるほどに天才的だ。追い越しをかける車やバスとの間隔の取り方がきわどい。五十センチ以上は離れない。まさに必要にして最少限なのだ。 バイクのアクロバット走行に目を見張るうちに、われに返った。この国の一人当たりのGNPはわずか二百四十ドル、それが新車のバイク(タイ製のホンダ・ドリーム号)で、二千三百ドル(関税率一〇〇%)、中古品でも五〇ccで、三百から五百ドルはする。経済統計の上では最貧困に属するハノイ市民の四〇%の人々が、なぜ、バイクを購入できるのか??という疑問にかられたのだ。 通訳兼ガイドのチンさん(漢字は、自分の名前である陳武太しか書けないという)に聞いてみた。 ハノイのサラリーマンの月給は、平均すると七十ドルだという。しかし、メーデー、建国記念日、正月、そしてテト(旧正月)に、それぞれ一カ月分のボーナスが出る。バイクを購入するには年に四回のボーナスを利用して、頼母子講(無尽)を組むのだ。普通十人ぐらいが、ボーナスを供託し、そのうち一人がバイクを購入する。次のボーナス期には別の人が無尽を落として、バイクを手に入れる。この方法で、十人のうち四人はバイクの所有者になる。 「でも、計算が合わないね。一回のボーナスを十人で合計しても、七百ドルにしかならない。どうやって二千三百ドルの新車が買えるの」と私。 「そう。中古のバイクなら員える。でもホンダのバイクも大丈夫。ベトナムには、“非公式経済”があるから……。親戚や友達にドルの現金をたくさんもっている人が、一人や二人はいる。足りないお金はその人から借りる」と陳さん。 「非公式経済」とは、日本流にいうと地下経済(アンダーグラウンド・エコノミー)のことだ。公式統計では一人当たり年間二百四十ドルの所得でも、その二、三倍の、政府が補捉し難く、税金もかからないウラの経済がある。裏の経済の通貨は現地通貨の「ドン」ではなく「USドル」だ。この国の人たちは、銀行にお金を預けたがらない。お金の出所を窓口でいろいろ聞かれたり、面倒が多く利点が少ない。 一説によると、この国に一年間に導入される外資は二十億ドル、その半分の十億ドル程度は、ドル札で“タンス預金”として、個人部門に溜まっているともいう。カメの中にドル札をつめて、地中に埋める。「だから、ベトナムのドル札はカビ臭い」などと、まことしやかに流布されている。 地下経済は暗くて不透明である。だから地下の経済というのだろうが、地上でも容易に見えるのは、家屋である。ドイモイ(経済刷新)政策で個人の借地権が認められ、そこに三階建てのベトナムと西洋の折衷の住宅を建設するのが流行だ。市内の高級住宅地では、外国の駐在員が店子になる。 私の同僚であくなき探究心をもつ男が、大学を訪ね、学長と教授に「五十ドルや百ドルの月給でどうやって生活しているのか」と激しく迫った。すると教授は、学長の面前でこういった。「それは家賃収入だ。私は借地権を手に入れ、そこに家を建て、外国人に貸している月に千五百ドルの収入がある」と。悪びれるところは全くなかった。学長は「私はいろいろ特権もあり住宅は政府から供給されているので、そういうことはやっていない」と苦笑していたという。 バスの窓から沿道に目を向けるハノイ郊外でも、工事中の建物がチラホラ目につく。コンクリート三階建てで、沿道に面している。黄色(ベトナム人はこの色がよほど好きらしい)と白のペンキがはげかかっている。コンクリートの壁と柱があり、ガレージのような伽藍洞の空間の中に、テントを張って人が住んでいるものもある。 建物の取り壊し中なのか、建設中なのか、一目見ただけではわからない。チンさんに問い質したところ、いずれも新築中だという。「これがベトナムの家の造り方です。お金ができたぶんだけ造る。二年も三年もかけて完成する。ベトナムの砂は塩分が多いから、すぐペンキがはげる」とのことだ。ハノイのダウンタウンには信号が少ない。だから、バイクの大群をかき分けて道路を横断しなければならない。チンさんが、実地にコーチをしてくれた。「走ったら止まるな。駄目。ゆっくり、ゆっくり。真っすぐ同じスピード。絶対後を振り向くな……」。不思議なことに道路の向こう岸に無事到着した。そしてベトナムの「河内さん」の一員になれた気がしたのである。
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