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大きくなる予防外交の役割 前回はペルー関連のお話が飛び入りしてしまいました。今回がカーターさんの締めくくりです。さて、カーターさんの自宅のあるジョージア州プレーンズを初めて父、笹川良一と訪ねたのは、一九八四年六月のことです。カーターさんのご両親のお墓参りのためでした。町に、たった一軒あったレストランで、カーターさんから大皿に山盛りになったナマズのテンプラをごちそうになりました。空腹だった父と私は、けっしてうまくないナマズにケチャップをたっぷりつけてほおばったものです。 世界の指導者といわれるような人は、おしなべて義侠心(ぎきょうしん)が厚く、義理堅いところがありますが、カーターさんもその例にもれません。 私たちがプレーンズを訪ねてから二年後、カーターさんが一泊の強行スケジュールで、わざわざ私たちの先祖のお墓参りに、大阪に飛んでこられました。「もっと、早くお墓参りしなければと思いながら遅れてしまいました」と和やかに弁明されていました。 先月末、私が共同計画の打ち合わせのため、アトランタにカーターさんを訪ねた折のことです。彼は問わず語りに「あなたのお父さんからお墓参りを通じ先祖を大事にするという、東洋のすばらしいものの考え力を教わった」と感慨深げに話されていました。 最近、カーターさんは詩集を上梓し、また一人娘のエミリーさんのイラストに、文章を付した絵本も出版しています。ジョギングもいまだ欠かすことなく続けており、気力体力ともに充実、とても古希を過ぎた人とは思えません。 まじめな人柄は今も変わりません。ご存じの通り、かつて彼は原子力潜水艦の技術将校でした。ひとつのネジの狂いが大事故につながる厳しい環境で青年期を過ごしただけに、思考は緻密。すべてを把握しないと、気が済まないところが、彼の真骨頂でしょう。大統領時代は、そのまじめさが裏目に出たといえるのかもしれません。しかし、一触即発の紛争地域での調停者として、不可欠な資質は、粘りとまじめさでしょう。 冷戦体制の崩壊後、世界各地で紛争が多発しています。紛争を未然に防ぐ予防外交という新しい分野でのカーターさんの役割はますます大きくなるはずです。 八五年にアフリカ四力国をカーターさんと、ごいっしょした際、ガーナのローリングス大統領が、最初は、反米演説をぶちながら、後でまっさきに私たちの農業プロジェクトに協力したことはすでに紹介しました。 そのローリソグス大統領がいみじくもいっています。「米国は一人の凡庸な大統領を失った。代わりに世界はすぱらしい米国元大統領を得た」と。
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