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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 職場の厳しさ?どこでも「公開」していいのか  
コラム名: 自分の顔相手の顔 412  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 2001/02/27  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   二月二十二日の新聞の一面には、ホノルル沖で二月九日(日本時間十日)に日本の実習船「えひめ丸」を沈没させる原因となった米原子力潜水艦「グリーンビル」の司令室内に、当時多数の民間人がいたことが報じられた。
 真相はなかなか正確には把握できないものだろうが、外部の人がいると、狭い空間のあちこちに、働いていないじゃまな人がいることになる。「船の進行・位置予測を海図に書き込む『プロット員』と呼ばれる担当官」は「人(民間人)が大勢いて、場所を空けてくれなかった」と言っているという。もちろん「米海軍は、民間人が乗組員の注意をそらしたのではないか、という指摘を繰り返し否定している」と毎日新聞の紙面は報じている。
 民主国家アメリカの民間人も納税者だから、自分たちの税金によって作られ、自国の安全のために存在する軍の仕組みについても、戦時ではない訓練中なら、市民はどこででも「見る権利」があると考えるらしい。
 そのこと自体は別に間違いではない。
 しかし場所にもよりけりだ、と私は思う。
 日本にもアメリカ型の思考が入って来ている。会議の傍聴である。「すべての審議会は公開せよ」という民主的主張である。
 しかし私は最初からこの傾向に反対であった。会議は私たちの厳しい職場である。誰が職場に第三者を入れるか。外科医が手術室に、新聞社が編集会議に、会社が戦略会議に、外部の人を入れてできうるものか。どこかに変った作家がいて、その家の一番玄関に近いところに書斎を置き、壁もガラス張りにしたり、書斎の中にファン席を作って随時その人たちと喋ったり、その人たちの注視の中で小説を書く、としたら、ずいぶんおかしな人だろう。
 真剣な仕事には、すべて他人を排除する要素がついて廻る。精神力の集中には、「他者」がいては困るのだ。
 また会議にはすべて過程の部分がある。過程は結論ではない。過程はいちいち報告するべきものではない。そこで話し合われる内容が筒抜けになっていたら、本音は誰も言わなくなり、おもしろい意見、闊達な反論、危険をもはらんだ試案の類は、金輪際出なくなって、そこでは「聞かせ用」の会話だけが行われるようになる。事実、多くの公開を原則とする会議では、確実に会話がつまらなくなっている、と私は思っている。
 会議で決定された内容や意見などは、すべてを簡潔にまとめてインターネットで公開するのは当然だ。さらに出席している委員たちは個々に会議の内情を喋る自由も書く自由もある。非公開の「闇の場」で何が話し合われているのかわからない政府の審議会など、今では一つもない。しかし外部の人を会議の席に入れたりしたら、ろくなことにはならないのはわかり切っていたのである。
 何でも公開するのがいいという流行が正しいのかどうか、一度考えてみる好機である。
 



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