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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 日曜日は教会と競馬  
コラム名: 私日記 連載24  
出版物名: サンデー毎日  
出版社名: 毎日新聞社出版局  
発行日: 1997/09/14  
※この記事は、著者と毎日新聞社出版局の許諾を得て転載したものです。
毎日新聞社出版局に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど毎日新聞社出版局の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   一九九七年八月十七日
 普段は神戸に住んでいる息子の太郎と久しぶりでシンガポールで生活してみると、いろいろなことを発見する。
 昔、名古屋で学生生活を送っていた頃、彼は名古屋名物のパチンコに凝った。パチンコに関する文献を読み、腕も相当に上がったと言っていたが、今は競馬にのめり込んでいる。私が日本財団で働くことになった時、一番ショックを受けたのは、この息子かもしれなかった。
 「おふくろさん、お願いだから、競馬の方には手を出さないでね。ボク馬券買えなくなるから」
 彼もまた日本財団が競艇を施行している組織だと勘違いしていたのである。施行に関係している人は舟券が買えないが、日本財団は競艇の施行者ではないから、私は舟券さえ自由に買えるのである。
 ましてや私が競馬に関係することなどありえないのだが。彼はただ馬券を買うだけではないらしい。一応文化人類学をやっているので、競馬に関するあらゆることを知ろうとしているし、かなり詳しいらしく、馬場の芝生の長さの規定が各国で違うのだが、シンガポールはどういう馬場なのか見に行くのだと言う。
 そういうわけで、朝は一家で教会、昼前からは彼だけは競馬である。
 競馬ばかりではない。朝食の時には、将棋の世界に関する講義を始めると止まらない。どうやって名人が生まれるか、どういう棋士がどういうことを言ったか、誰が誰の扇子を使ったか。勝負とか賭博の文化論をずっと考え続けているらしいのだが、夫も息子も共に大学で教えていて、共に講義癖が抜けない。おかしなところだけ似るものである。
 八月十九日
 夜、太郎が帰国。八月十五夜をめがけて売り出されている月餅の箱が家族へのお土産である。ここの月餅は、叢雲に見立てたあんこの中に、月に見立てたアヒルの卵がちゃんと詩的に浮いている。月餅は中国人社会では季節のお菓子で、日本のように一年中売っているというのはおかしい、とこちらの人は言う。
 三時間後に、青春出版社の若い女性編集者お二人、仕事で見える。さらに一時間遅い飛行機で秘書の堀川省子さん到着。出入りの多い日。
 八月二十日
 朝から青春出版社の仕事を開始。朱門と二人でする仕事なので、東京ではなかなか二人が毎日二時間ずつ時間をとることができないのである。
 午前中みっちりやって、お昼は皆で飲茶と呼ばれる中国風の昼御飯を食べに行く。シンガポールでは一食は外食、一食はササニシキを炊いて日本料理。堀川さんが東京のうちで採れたミョウガを持ってきてくれたので、それもちょっと新鮮な味。
 八月二十一日
 久しぶりに仕事をしながらワーグナーの「パルシファル」を聴く。今手元にあるのは(どうしてこういう盤を選んだのか実は記憶がないのだが)一九五一年七月三十日、戦後初めてこの「パルシファル」がバイロイトで上演された時の歴史的な演奏である。戦後六年目、第一幕目の導入部を聴いただけで涙を流した人も数多くいただろう。この部分を、今のところ私は自分の葬式の時に使おうと思っているのである。
 八月二十二日
 花よりきれいな花子さん、でもないのに、シンガポールの有名な国立オーキッド・ガーデンで生まれた新種の蘭に、私の名前をつけて頂くことになった。
 朝、九時半に国立公園協会会長の陳共存氏と夫人の儀文さんとオーキッド・ガーデンヘ行く。陳氏はきちんと背広を着ておられるのに、朱門は例の餓鬼の悪戯と言われる足の切り傷が治らなくて、まだ靴がはけず、つっかけばき。慎みを欠くので気にしている。
 オーキッド・ガーデンは植物園の外れにあり、私たちの住んでいるマンションはその隣なのだが、今日は特別に管理棟から電気自動車に乗せて頂いてガーデンヘ向かう。
 私の名前をつけて頂くなら、新種の中でも少し薄汚く憎々しい感じのがいいなと密かに思っていたが、その頃生まれた新種に、その時訪ねた人の名前をつけるのだと言う。陛下のお名前のついた蘭がちょうど今花の時期で、特異な赤い見事な花を咲かせていた。ネルソン・マンデラは、どこかその人柄に似ているようなほんのりしたオレンジ系の花である。
 私が頂いたのは、端正な姿の紫のデンドロビウムで、Circe “Gail”に Fran's Jewelをかけたものだと言う。この広大なオーキッド・ガーデンの部分は三年ほど前に完成したもので、陳会長が執念で東南アジア一のものにしようとしてほとんど完成し、その後もまだもっといいものにしようとして頑張っているところだ、と言う。リカンユー首相もここがお好きで、時々人のいない時刻を見計らって散歩に来られる由。
 八月二十三日
 夕方、滝壼の中のような凄まじい雨。雷鳴も轟く。子供の頃、こういう時は蚊帳を吊ってもらって中で息をひそめていた。時々庭の木に飛んで来るオオサイチョウはどこで雨宿りをしているのだろう。
 



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