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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 商品券?勤労者は何もいいことがない  
コラム名: 自分の顔相手の顔 192  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1998/11/24  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   みんなが何だかおかしい、と感じているのが、今度の「商品券」を配る話である。景気低迷を救うには、商品券という形で約七千億円を呼び水的に出すわけだから、確かに一時的に売り上げは違って来るという推測もあるが、一方でそれが終われば景気は萎(しぼ)むとい、人もあれば、「あれ、何よ」と反感を持つ人もかなりの割合に達する。
 六十五歳以上でも、低所得という条件をつけるとは、第一失礼ではないか。もらう方にも、もらえない方にも、である。
 同じ理由で十五歳以下の子供でも、保護者が低所得という条件をつけろ、という理論は成り立つ。お正月に十万円かそれ以上もお年玉を集める「お坊ちゃま」や「お嬢ちゃま」にも、改めて私たちの税金二万円を差し上げるのか、と言われても仕方がないだろう。
 まじめな勤労者は何もいいことがないのだ。子供に教育費がかかってお小遣いもろくろくないサラリーマンは、ラーメンのおつゆでしみのついたネクタイを買い換えるのさえ倹約して暮らしているのに、そしてそういう人たちこそが税金を払っていて、彼らこそ買いたいものがたくさんあるのに、商品券は「当たらない」のである。
 ここには「撒き銭」の嫌らしさがある。もちろん撒く方が立場が上だ。撒く方は、受け手を下に見て、人々の上から必ず優越感に浸って銭を撒く。受け取る方も浅ましい。得をすればいいという気分で手を伸ばす。
 東南アジアの某国では、長年の為政者が「撒き頭巾」をやる習慣があるという話を聞いたことがある。頭に被る安い布を撒くと、それを拾った人は、その封建的な指導者に恭順を誓ったことになる、というのだ。それに近いやり方が近代国家で残っているということに、私はまず驚いたし、それが不快感の理由だろうと思う。
 お金というものは、勤労の対象としての報酬か、売買の手段か、いずれにせよ、積極的で対等で合理的な、合理性と尊厳を持った関係の結果で動かなければならない。年金は、その人が長年自分で積み立てたものだから受けて当然だ。しかし理由なく「お恵み」のように一部の人にだけ与えるというのは、教育的にもよくないことなのである。これを発案した人たちは、政治はわかっていても、人間の精神を毅然として独立した高貴なものとして認めることを知らない人たちであろう。
 「ただもらい」に馴れると、後が恐ろしい。今の日本で一番欠けているのは、「与えること」に歓びを見出す人間らしい精神を鼓舞する気風はほとんどなくて、受けるのが人権だ、などと教えた貧困な教育の結果だけが目立つことである。
 受けることなど、誰もが喜ぶ。それこそ、犬でも、乞食でも喜ぶのである。「撒き銭」をする以外に購買力を促す方法がないというのは、強心剤だけを打って、心臓そのものを治す方法を考えていない証拠である。
 



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