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人には皆、私をも含めて、覗き見趣味があるということを認識の前提とした上で、今回は或る葬儀の内幕を書くことにする。ついこの間或るきっかけがあって、私は今勤めている日本財団の前会長・笹川良一氏の葬儀の内情を、詳しく知ることになった。 財団はすべての数字と事実を、余すところなく公表すべきであるという理念に沿って、私が立場上手に入れることのできた資料を使って、いったい世の中には、誰がどのような経緯でどういう葬儀を出すことになるのか、という事実は、時代の背景を映した一つの事件として記録しておいてもいいような気がする。 ことの起こりは、平成七年九月八日発売の「フライデー」に載った加賀孝英さんという方の一つの記事に端を発していたらしいが、私はその当時この雑誌を読んでもいない。私が瓢箪から駒が出たように日本財団(正式名称は日本船舶振興会)の会長になったのは、同年の十二月十一日であった。 加賀さんの文章は次のように始まっている。 「“最後のドン”笹川良一亡きあとの跡目争いがいよいよ熾烈化してきた」 あれだけの悪意と中傷と悪評との中で、誰もなり手がなかったから私のところへお鉢が廻って来ただけなのに、誰がそんなに会長になりたかったのだろうと不思議である。 「競艇界の頂点たる(財)日本船舶振興会会長の座は、いうまでもなく年間約一千億円もの莫大な資金を国内外にパラ撒く世界最大の“利権の座”」 これがほんとなら、嬉しい話だ。そうすれば私も少しうまい話のおこぼれにヒソカにでもあずかれるであろう。私は今無給で、財団からもらう現金は、一律、出張の時の日当の六千五百円だけで、すべての出費は原稿収入によっている。そしてまたここに書かれているように国内外に金をバラ撒いて済む話なら、今のように財団がたった百人前後の職員で、お金を出す先の、事前調査や追跡調査に疲れ切ることもなくて済むのである。 こういう加賀さんの書き方は、小説としても、典型的な通俗小説ということになるだろう。しかしすべてのものには枕が要るから、話はすべて加賀さんの書かれた「フライデー」の記事によることにする。 「さて(一九九五年)九月十四日、笹川の本葬が東京港区・増上寺で執り行われる。ここに提示したのはその葬儀の極秘内部文書である。(中略)関係者によると、その内訳は??。 *会場・祭壇 約一億一千万円 *お布施 二千万円 *VIP 五百万円 *新聞広告(五大紙、九月四日掲載) 二千三百万円 *雑費 三百五十万円 *予備費 七百万円 計 一億六千八百五十万円」 「額も額だが、驚くのはその詳細。VIPとは『カーター元米大統領を呼ぶための費用』、そして予備費とは『宮家をよぶための費用』だというのだ。(中略)しかし、その振興会の金はもともとは国庫納付金で、国が公的に使用すべき公金。そんなふうに私的に使っていいのか」 この文章には間違いがある。現在の日本財団のお金は国庫納付金ではない。財団は別に国民の税金を使って仕事をしているのではない。競艇の売り上げの三・三パーセントを生かすのが仕事だ。しかしもちろんこのお金は公のもので、千円たりとも自分勝手に取り込んだり使ったりしていい金ではない。主務官庁は運輸省で、日本財団が何に使ったかはすべて運輸省が大口の出費を確認し、それ以外のものは財団が情報公開の原則に従って細部まで公表しているものである。日本財団には、隠さなければならない金の使い道など全くない。企業なら企業秘密の部分が当然あるはずだが、財団にはそれもないのである。今ではインターネットなるものもあるから、情報は筒抜けどころかそれ以上である。 (URL:http://www.nippon-foundation.or.jp/) 加賀孝英さんの非難は、葬式の規模の大きさと、カーター元大統領と宮家を金で呼んだという点だ。 この葬儀についてまずはっきりさせておくべきことがある。加賀さんの文章を読むと、笹川家が「公費で葬式をすべてまかなった」ような印象を与えるが、笹川家の個人的な葬儀は別に密葬という形で行われている。その費用も決して安くはなかっだろうが、それは日本財団の関知するところではない。 笹川良一氏は六十九団体に深く関係しており、古いものでは三十年以上、それらの組織のために無給で働いた。 「じゃ、どうしてお暮しだったんです?」 私はすぐ下世話なかんぐりで、事情の説明者に尋ねた。 「関西で、土地も持っておられましたが亡くなられた時はかなりの借金も残しておられたそうです」 「しかし関西と東京と『お二人の奥さま』がおられたということでしょう。そちらの方たちには……」 「関西の奥さまはお茶の先生。東京の奥さまは有名な詩吟の大家です。前会長は、家へはあまりお金を入れずに、お子さん方が配慮しておられた、という説もありますが。私は東京のお宅しか存じませんが、まあかなりの広さはありますが、今どき珍しいほどの古い家で、訪ねて行った人がまさかこんな古い家ではないと思って、隣の新しい豪邸の方にずんずん入って行きそうになったことがありました」 このお二人の奥さまには子供さんがなかった。現笹川陽平理事長と二人のお兄さん方の母上は別の方で、既に亡くなっておられた。 「前会長が亡くなった時、それぞれの組織が長い年月お世話になって来たのだから、お別れの会をしたいと言われました。当然のことと思いますが、それでは時間もお金もすべて無駄。ご遺族も体がもちません。それでは合同で、お葬式ではなくお別れ式をして頂いたらということでこうなりました。 実はその時、こういう新聞広告を出したらという原案を、広告代理店が出して来ましたが、これは使いませんでした」 幻に終わった新聞広告は新聞の巾だけあり、全2段という面積である。それだけないと関係団体、六十九の名前が納まり切らないのだが、約四百五十万円という値段だったので断った。当時もし財団が、全国紙、ブロック紙、競艇の関係もあるからスポーツ紙、にも死亡広告を出すとなると、二億円かかると言われたのだそうである。「新聞社は死亡広告だけは全くまけてくれないものなのです」 私はここにその関係団体の名前のすべてを資料として記載したいがやめることにする。それをしたら私は四百字詰め原稿用紙一枚分は確実に写すだけで原稿料を稼ぐことになるとイヤミを言われるからだ。全国モーターボート競走会連合会、日本船舶振興会の二つだけが別扱いで、すぐその後に各県の社団法人モーターボート競走会だけで十九。日本防火協会、航空保安協会、日本科学協会、全国消防協会、日本中国料理調理師会、航空振興財団、マリンスポーツ財団、など、六十七団体。笹川良一氏はこれらの財団、連盟、大学などの、名誉会長か総裁か会長か理事長か設立時からの功労者乃至は関係者であった。結果は、中央五紙に出した広告は、十六センチという初めに勧められた大きさの半分以下のサイズのものになった。それでも新聞広告関係だけで一千九百二十八万円である。 私の手元にある死亡広告関係の資料では、A化成元会長とNホテル会長とが共に四千四百四十万円、S銀行名誉会長が三千百七十一万円などだが、いずれも笹川良一会長より死亡時期は前だが、それでもその値段である。 お別れ式が行われたのは九月十四日、芝の増上寺であった。私の手元にある「笹川良一合同葬経費明細書」なる資料は平成七年九月二十七日のものだから、お別れ式後、十三日目に出されたことになっている。 増上寺では今まで六千人の参列者の例しか体験がないと言った。結果的には六十九の団体とご縁のあった方々が出席するだけで一万一千人になったのだが、一万人は予定しなければならない、という想定のもとに準備は進められた。そこで交通渋滞を起こさせてはならない。そうなるとお焼香だけではなく、献花さえ無理ということになり、参列者は拝礼だけということになった。 加賀孝英さんが書く「会場・祭壇」約一億一千万円という内部情報も、結果的には葬儀社に支払ったのが約七千万円、天幕等に約三千四百万円になっている。この天幕などというものは、素人には想像もつかない頂目である。葬儀社が顧客に持参した「メニュー」によると、当時の最高の特一号は一億三千万円、その下に二段階あって、更にその下の一号が六千万円だが、笹川会長の葬儀は七千万円である。 「一万一千人を時間内に拝礼して頂くとなると、その場所を広くとらないと、捌けないのです。その場所を広く取ると、祭壇もそうそう狭くもできないから富士山型になります。それでこういうお値段になりました」 残暑の季節であった。ボートの選手の卵たちが五十人、関係者約一千人が、誘導その他に当たった。何の渋滞もなく、警察にホメられました、という話だが、そういう人たちの休憩の場所も要る。天幕は設営と撤去にも建設費並みの金がかかる。 扇風機五十台 二十一万円 簡易トイレ 三十万円 報道用腕章 二十万五千円 会葬礼状お清め塩入り(一万二千枚) 百二十万円 ご遺影作成 五十万円 僧侶弁当(一個五千円で二十六人分) 十三万円 遺族、親族弁当 (一個千円で百三十個) 十三万円 弁当 (一個八百円で一千二百九十個) 百三万二千円 ウーロン茶(一千四百二十本) 十四万二千円 おしぼり、麦茶、仮設電話工事費など 六百九十九万円 駐車場経費(国際興業と東京タワー駐車場) 五十八万九千円 お花は最初から、お香奠と共に断っていたので、そう多くは運ばれて来なかったという。 大方の読者がもっとも興味があるのは、お寺さま関係だろうが、こちらは戒名代など入っていない。それは笹川家の私的な葬式の時に出している。そのお別れ式で、増上寺に払ったのは決算報告によると、加賀孝英リポートより百万円多い二千百万円である。ただしこれには三日間の式場使用料も含まれているから、二十六人の僧侶へのお布施だけではない。 さてカーター元大統領と宮家を「よぶための費用」なるものだが、外国要人関係の予算は五百万円を計上していて、実行額は二百三十三万九千円であった。 「カーターさんは、亡くなったという通知をしましたらすぐ、ご自分の方から行くというご通知がありました。こちらが飛行機代やホテル代をお持ちしたなどという失礼なことはしていません。ただわざわざおいで頂いたのですから、一度だけ財団の関係者数人と、簡単な朝食会をさせて頂きました」 カーター氏は今でもよく財団に立ち寄られる。笹川陽平理事長のことを「ヨーヘイ」と呼んで弟のように話すのが印象的である。 「では、この二百三十三万は?」 「うち百五十万円くらいは、諸外国から見えた方がたの、成田への送迎と、お食事を一度くらいさしあげるのに使ったと思います。ご承知のようにアフリカでは数カ国で農業改革をしていますし、その他ライ撲滅の関係もあります。それから前会長はトンガ王国の名誉総領事をしていましたので、トンガ国王ご夫妻が、おつきの方々を十人くらい連れて、葬儀当日でなく後で見えた時、ホテル海洋でお食事会にお招きして、成田までのお車を手配しました。トンガ関係が約百万で合計二百三十三万かかったんだと思います」 「宮家関係は?」 「天皇陛下と常陸、三笠、高松の三宮家からはお花を頂きましたが、秩父宮妃殿下がその直前の八月二十五日に亡くなられています。宮家はすべて服喪中でいらしたと思いますから、葬式においで頂くなどということは考えもしなかったと思います。 ただ予備費というものは『何かあったら、遅滞なく対応できる』ためですから、当然用意するべきですが、宮家や元大統領にギャラを払ってお呼びするという発想の方がよほど無礼でしょう。この予備費は一応三百万計上しましたが、突発的な事故もなかったので一円も使わずに済み、つまり実行額はゼロです」 各財団が、十年から三十年、無給で働いてくれた人に、亡くなった時、それ相応の葬式の費用の分担をしたいということになった。結果は、全国モーターボート競走会と日本財団が約五千二百万円ずつ、関連六団体で一千七百五十万円、笹川家が二千九百七十五万円を出すことが理事会で承認された。 私ははでな葬式を極端に嫌って、実母、義母、義父の順にすべて完全な秘密葬式で見送った人間である。しかし愛する者はすべて集まり、母は眼を献眼して、温かいいい葬式だったと思っている。費用はいずれも百万円以下であった。だからこのような葬儀は私の好みとは違う。しかし葬儀の規模を選べない、という不幸がこの世にはあるのである。庶民の幸福は選べる自由を持つことでもある。 笹川良一氏という方は、相当なケチであったと言う。ご自分の葬式について全く遺言めいたことがなかったのは、特別の生物学的論理で二百歳まで生きる、と言っておられたからだそうだ。 私が後年きれいなタレントのお嬢さんを財団のコマーシャルに使うことになった時、ちょっと会議の席で愚痴ったことがあった。 「ああ、どこかに安く出演してくださる、美人の素人のお嬢さんはいないものかなあ」 その時、笹川陽平さんはくすりと笑った。 「ソノさんは、けちなところが父とよく似ておられますな。父はコマーシャルを作る時、タレントにお金を出すくらいなら自分が出よう。それならただだ、と言ってできたのが、例のあのコマーシャルです」 その話ほど、世評と現実が違っておかしいものはない。しかし加賀孝英さんのような書き方を安易にするものではない。一人の人のイメージが歪められるということは、その人の品性や名誉に深く係わることで、全く迷惑至極なことなのだ。 (九八・四・八)
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