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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: お葬式?初めて感じた穏やかな思い  
コラム名: 自分の顔相手の顔 403  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 2001/01/23  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   先日、百歳近くの高齢まで生きられた友人の母上が亡くなられた。ホームのようなところにいられたのだが、食べられなくなって来たので病院に移した。それでも亡くなられる朝、友人が車椅子で屋上に連れだしたら、近くのビルや町のたたずまいや空を眺めて「きれいだねえ」と喜ばれた。死はその夜半のことであった。
 私たち娘のような立場の者たちは、慎みがなかった。お棺の中の死に顔を見つめて「小母さまってこんな美人だったかなあ」などと褒めたようなけなしたような感心の仕方をしていた。それほど穏やかなきれいな顔だった。私の友人は「自分もこんな死に方をしたいと思うけど、できそうにない」と言った。
 葬儀社の人も感じがよかった。その人自身カトリックだったので、普段唱え慣れている祈りを、リードするようにしっかり唱えてくれた。私はふと、葬儀という人生で大切な仕事に携わっていられるこの職業はいいな、と微かな羨ましさを感じた。
 火葬場は新しくきれいになっていた。ホールには、ホテルのようなシャンデリアが下がっている。待合室も手頃な大きさで、私はここで結婚式もすればいいのに、と思った。教会や寺院は、人の生死のすべてを見守る。だから火葬場にも同じ機能を期待したのかもしれない。
 お骨上げの前に、係の人は小さなアイロンのような道具を持って来た。それでお骨の間に混じっている鉄のものを磁石の力を利用してより分けるのである。副葬品やピンなどがいっしょに焼けて来て、それをまたお骨壷に入れると、やがて錆びてお骨を汚くするからだ、という。カトリックの葬儀社の人もいっしょになって、お骨の中の異物を探してくれている。友人の母上はペースメーカーを入れておられたはずだが、あれはどうなったのだろう。
 火葬場というものも、この上なく清潔な場所だ、と私は気がついた。いい職場である。お骨には何の細菌も残っていない。愛する人のお骨を食べた人の話を読んだことがあるが、お骨はまさに食べてくださいといわんばかりのすがすがしさであった。
 七十歳に近い友人は、まだ活動的だが、十分に親孝行をして、思い残しはない。親子が親子としての関係を味わい尽くして、順を追って立ち去って行く。その典型であった。
 人間同士は生きている時に憎しみを持つことはあっても、死は素晴らしい休戦だ。クリントンはついにパレスチナとイスラエルの間に和平を持っては来られなかったが、死はクリントンの政治力よりはるかにうわてで、誰にでも休戦を命じてしまう。
 お葬式に行って、こんなにも穏やかな明るい思いになれたことはなかった。それというのも、死者が、殺しも殺されもせず、愛に包まれて、自然にこの世を去ったからだ。その凡庸の偉大さをこの母上は教えて去った。
 



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