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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 庶民の幸福  
コラム名: 私日記 連載43  
出版物名: サンデー毎日  
出版社名: 毎日新聞社出版局  
発行日: 1998/02/01  
※この記事は、著者と毎日新聞社出版局の許諾を得て転載したものです。
毎日新聞社出版局に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど毎日新聞社出版局の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   一九九八年一月五日
 シンガポールの生活は夫婦と息子だけ。静かなものである。午前中は旅行代理店へ行って飛行機の切符の手配をした。シンガポールから、バンコック、ソウルを経由して日本に帰り、それから再びロンドン、ストックホルム、マドリッド、日本、シンガポールという長いもの。日本で買うよりはるかに安いのである。飛行機の料金は季節やルートや他の制約によって何百通りとあるというから、頭の綿密な人でないと務まらない、としみじみ思う。
 終わってから近くの食堂街でラクサを食べる。ココナツ・ミルクのスープで煮たうどんで、エビと野菜入り、唐カラシで少し辛い。カイランという青菜の妙めたものも取る。油で緑が輝いている。庶民がこういうお手軽でおいしいものを食べられる社会を作れば、戦争も部族対立も犯罪もずっと減るだろう、と一瞬能天気な考えが頭を過る。
 一月六日
 日帰りでマラッカヘ行こうと息子が言ったので、朝七時、まだ暗いうちに頼んでおいた車に来てもらう。小学校に通う金髪の女の子も、暗い中でスクールバスを待っている。
 マレーシアとの間の海峡に最近二本目の橋がかかった。トゥアス・チェック・ポイントもがら空き。シンガポールは観光立国を目指しているから人を待たせない。一国がそういう体制を取ると、東南アジアでは隣国もそれに倣うことが多い。良貨が悪貨を駆逐するいい例である。
 ゴム林とヤシ林の間を二時間走って、マラッカの城砦跡に着く。初めてここへ来た四十年前、もう二度とこのような土地に来ることはあるまいと考えていた。それなのに、その後七度も八度もここへ来た。ヨーロッパからはるばるこの土地へ来て、十八歳で亡くなった若妻の墓碑銘に胸を打たれたのもここである。
 城砦の隣に、マラッカの王宮を想像復元した建物ができている。長いロングハウス式の家は、表にも裏にも、深い庇の下に風通しのいい長い漆塗りに見える廊下が通じている。そこを裸足で歩いていると、あたりに植物の体臭もしてひどく気分がいい。
 帰りは海沿いの一般道路を行く。息子は、この村に点綴された田舎の光景が大好きなのだという。曲がったヤシと、遊んでいる鶏と、どこを見てものどかな詩があるからだ。
 しかし戦争中、日本の銀輪部隊と呼ばれた自転車部隊が、マレー半島をシンガポール目指して南下した。当時、このような道は、暑さと病気と疲労と埃と途方もない距離とで、地獄のような悪路に見えたことだろう。
 帰りはシンガポールに入ってから、菜食のインド料理屋で軽く食べることにする。テーブルの上には、菜食の効能書きが置いてあった。動物は殺される時に恐怖から毒を出す。それを食べると癌などの病気の元だ、と書いてある。「南の料理を食べると辛すぎてまた胃を悪くするから、北の料理を食べた方がいいよ」という息子の注意に従う。
 一月九日
 朝、早い飛行機でバンコックヘ。アジア太平洋フィランソロピー協会の第一回の国際会議の晩餐の時にスピーチをするため。アジア財団、ロックフェラー兄弟基金、フォード財団、日本からはトヨタ財団、日立財団、日本国際交流センターなど、世界の主な財団から代表が出席している。
 飛行機の中で、アメリカ人に翻訳してもらった講演原稿の立派な文章を、ずっとヘタクソな舌足らずの表現に直すことにした。こんなむずかしい表現を私ができるわけがないし、第一、口が回らないのである。
 私は国際会議(に限らずすべての会議)というものがどうしても好きになれない。作家の集まりにも、出たことがなくて生きて来た。「業界」の付き合いがあるという考え方もあるだろうが、人道の団体や個人で仕事をする作家が、国際会議で集まってみても、どういうメリツトがあるのかほんとうはよくわからない。作家は自分が感じたことを、自分の表現で書くことが任務で、集まってアピールを出すなどというのは恥ずかしいことだ。日本財団としては他の財団がどういう路線を取ろうと、自分の判断で仕事をするだろうが、今後は会議に向いた才能を持つ人に出席してもらうといいと思う。
 一月十日
 朝バンコックからソウルに向かう。聖ラザロ村の李庚宰神父を見舞うためである。神父は、直腸癌と肝癌が発見されたが、幸い手術がうまく行って今は回復期。
 空港で、ラザロ村後援会の会長や主な方々に迎えて頂いた。後援会長の奉斗玩氏は大学教授であると同時に、有名なテレビ番組のパーソナリティー。もうお一人、「芸術の殿堂」社長の李鍾徳氏は、つまり国立劇場の社長である。日本芸術文化振興会で新国立劇場を作ることに働いて来た夫は「しまった。国立劇場なんてコンコチな呼び方をしないで、『芸術の殿堂』にすればよかった。韓国の人の方がセンスあるなあ」と言う。
 聖母病院は漢江のほとり。嬉しいことに神父は手術後今夜初めて、近くの中国レストランでいっしょに会食をして下さるという。
 



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