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天皇の、ご即位十年を記念して、天皇・皇后両陛下のお言葉を集めた『道』という本が出版された。 人は誰にでも立場というものがある。社長は社長として、裁判官は裁判官として、学校の先生は先生として……だから立場を持たない者ほど楽にものが言える。作家がその最たるものだ。 その中で一番難しい立場を持っておられるのが皇室の方々であろう。 この「お言葉集」は本来は平成史の資料集として見なければならないのだろうが、象徴としての天皇・皇后が、お言葉の中で、充分に人間的な心情を自由に吐露されているのには、快い驚きを感じる。 新宮殿にお移りになったあとのご感想の中から、陛下は、何ごとについても国民の決定に従う、という意志を示される。さらに私たちは新宮殿が、皇太子時代にお住まいになっていた赤坂御所よりも狭いこと、しかしそれを「生活空間がまとまっています」と評価しておられること、などを窺い知るのである。 興味深いのは、今までのように皇居と赤坂御所との間の往復がなくなられたことによって、「街の様子や街を行く人の姿を目にすることが少なくなったことを感じています」と言われていることだ。私たちの生活に触れる機会を今までよりさらに失われたことを、少し淋しく感じておられるのだろう。しかしそれを不満という形では表現なさらない。数行のお言葉の中にも、陛下の人間性は充分に伝わってくるのだが、そこには常に自制の香が漂っている。両陛下が庶民の言葉で言うと実に「仲のいいご夫婦」でいらっしゃるのも、ひとえに陛下のこうした徳の故だということがよくわかるのである。 しかし私のような俗物が驚くのは、巻末につけられた、ご日程の凄まじさである。 私たちの勤めは、どんなに厳しかろうと、息抜きやごまかしができる。会議中でも目をつぶって他のことを考えられる。ちょっと首を傾げたり、机の上で紙に不必要なことを書き散らして心理の解放を企てたり、中座したりすることも不可能ではない。私など始終、何とかして仮病を使って休めないかと考えている。 しかし両陛下のお仕事はそんなことを許さない。土曜日も日曜日もない日程もざらだ。 しかし世界中の人々が、皇居にお招かれしたことを喜んでいる。社会主義国の「偉い人」が、総理とお会いしたことより「両陛下にお会いできたこと」を手放しで喜んでいる様子を何度か見たことがある。私は屁理屈を言うのが好きだから、どうして社会主義国の人が、天皇にお会いして喜ぶのだろう、と一瞬言いたくなるのだが「どこの国も変わりなくお迎えすることが大切」と陛下は皇后さまに接遇の基本をお教えになられたという。そういう誠実は実によく伝わるものなのだ。
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