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人間の満ち足りた生涯を構成する生き方には、実にさまざまな矛盾に満ちた複雑な要素が含まれている。 誰もが望むのは、危険のない穏やかな毎日である。昨日と同じ、平和でまあまあ食べるものも着るものもあって明日まで多分生きていられるだろう、と思うような暮らしである。 しかし人間は単なる動物ではないから、それだけでは満足しない人も出る。人は時に危険も不便も承知で、冒険や長い旅や大きな賭けに出る。一人でヨットによる世界一周を企てたり、エベレストに登ったりする。 十九世紀後半、反乱の続くアフリカでは、アルジェの大司教となったラヴィジュリーが「信仰を強制することなく、土地の人々に医療や食料など必要なものを与え、いつかサハラのかなた、イスラムの中心地であるトゥンブクトウを目指すこと」を願ってアフリカ宣教会を作った。この会の宣教師たちは、アラビア語やトアレグ語など土地の人々と同じ言葉を話し、その土地の人々の住む家に住み、彼らと同じものを食べ、同じ服を着ることを実行した。それも植民地主義の一種の表現だという人に、私は反対をしないが、彼らはそれを宗教的情熱と感じていた。 しかしそれにもかかわらず、その意図は全く理解されなかった。あまりの貧しさに脱落した修道士もいたし、病気で命を失う者も後を絶たなかった。案内役のトアレグに惨殺された司教の一団もいた。しかし殺されたり、病気で倒れる者が出る度に、逆に志願者は増えた。やがてラヴィジュリーは、新しい志願者が出る度に、請願書に「殉教を覚悟して」という言葉を書き加えねばならなくなった。まさに自衛隊員が入隊の時に宣誓の言葉として「身の危険を顧みず」というのと同じか、もっと激しい決意である。 ラヴィジュリーは当然この言葉を見た若い司祭たちが、恐れをなして請願書を引っ込めることを期待していたのだろうが、それは全く逆の結果を生んだ。多くの志願者は、 「そのためにこそ、私は来たのです」 と答え、事実虐殺が行われる度に志願者は増えた。今、カトリックの修道会では年ごとに志願者が減っているが、それは、命を賭けるような危険を修道会がさせなくなったからだろうと思う。危険を承知でアフリカの奥地などへ修道女をどんどん送っているような修道会は、逆に志願者が減ることが少ないのである。 誰でも、仕事のためには、いささかの命を賭けている。報道カメラマンはその典型だ。卑怯と安逸と堕落を自らに許している作家でさえ、時には自衛隊員の百分の一くらいの危険は覚悟の上で取材をすることもある。 それは生涯を充たすためなのだ。多くの場合、人はいささかの危険と引換えに手に入れた生の実感こそ輝いたものに感じるからなのだ。その選択を避けるようになった時、日本人は「恥じ知らず」になり活力も失ったのである。
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