共通ヘッダを読みとばす

日本財団 図書館

日本財団

Topアーカイブざいだん模様著者別記事数 > ざいだん模様情報
著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 優先順位?家事か読書かどちらが先か  
コラム名: 自分の顔相手の顔 15  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1997/01/07  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   家族がどういうことに重点をおいて暮らすかは、それぞれの家庭が決めることで、他人がそれをとやかく言うことではない。
 私は結婚する時、夫に、家事をするより本を読め、と言われた。掃除、洗濯、炊事すべてを完全に済ませてから本を読もうなどと思ったら、くたびれて居眠りが出てしまう。だから大切だと思われることからやれ、ということだ。一方私は家事を完璧にこなしていた母の娘として育ったので、初めは掃除もせずに本を読むことに少し抵抗があった。
 しかしよく人々が言う「埃では死なないからね」という言葉も本当だし、人生では優先順位を常につけておくことが大切だとわかると、私たち夫婦の基本原則も定着したかに見えた。しかしこういう原則はすべて時間と共に変形するものだ。後年、調べて書く小説を手がけるようになると、私はいつでも必要な資料を取り出せるようにしておくためには、やはり戸棚の整理が大切だ、と感じるようになった。
 歴史小説を書く作家と違って、私の資料の量など知れたものなのだが、それでも一つの連載小説を書き終わると、嬉しさのあまり、関係書類をすべて窓から投げ棄てたくなるという誘惑にかられるほどである。
 それと私は時間貧乏で暮らさなければならなかった。それでいて家庭菜園のサニー・レタスも切らしたくないし、お豆も自分で煮たい。何ごとも素早くやるには心を込めずにやるのがこつだ、とわかって来たので、そのためにも、ものを減らしておく必要がある。
 結果的に私は家の中をがらがらにしておくことに情熱を燃やすようになった。床や椅子や台所の外回りは、歩いたり坐ったりする所であって、物置き場ではないのだから、という原則を楯に取って、決してものを放置しないことにしたのである。
 現在の我々の生活では、申し訳ないほどものが多過ぎる。私の友人がそのまた友人の家に訪ねて行くと、何ともすさまじい状態なのだという。八畳の部屋のほとんどが、紙袋に入れたままの品物で溢れ、人間はその中にできた細い通路を歩くだけだと言う。部屋の中の小道の周囲にうずたかく積まれた紙袋は、自分が買って来たものや、いつか使うだろうと思うものや、人に貰ったもので、少しも機能していない。紙袋の中身の物が機能していないだけでなく、人が寝たり坐ったりする空間としての部屋の機能まで潰している。
 もちろんただ所有する楽しみということもあるだろうが、物を生かして使うことも、豊かな社会と恵まれた生活をできる人たちの任務である。自分の所で消費しきれないものは、必要としているところに素早く廻す義務もある。食料品でなくても、品物にはすべて鮮度という命があるから、古くすると私たちは一刻、一刻損をするわけである。
 しかし私が心ならずも部屋の整理をし続けているのは、捜し物に時間を使わずに、ひたすら楽に暮したいからである。
 



日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION
Copyright(C)The Nippon Foundation