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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 長谷川汚食之構図  
コラム名: 昼寝するお化け 第187回  
出版物名: 週刊ポスト  
出版社名: 小学館  
発行日: 1999/09/24  
※この記事は、著者と小学館の許諾を得て転載したものです。
小学館に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど小学館の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   こんなことを言うとまじめ一方の人には叱られるのだが、私は作家として汚職や収賄も「できたらしてみたい」と一瞬思う。
 しかし理由を公表できないお金は決してもらうな、理由のないお金ほどオッカナイものはない、と小心な親たちからさんざん聞かされてきたおかげで、用心ばかりする性格になってしまった。
 その私がこの夏から秋にかけて二つ「汚職」ならぬ「汚食」をすることになった。
 私が働いている日本財団では毎年「海洋文学大賞」というのを出している。もちろん海をテーマにした新人の作品を対象にしているのだが、去年からは、既成作家で海洋文学に大きな貢献をされた方にも賞を贈ることになった。
 私は主催者側として選考委員会のまとめ役をしているのだが、今年の新人賞には、日本財団の一人の職員が、彼の仕事から得た最新の海賊の知識を元にして、小説を一本、ペンネームで応募した。
 選考が行われる席では、彼はそれとなく席を外した。私はおかしくてたまらなかったが、私の立場もけっこう微妙だった。後から考えて、身内を後押ししたと言われないように、しつこいくらい欠点もあげつらったが、それでも彼の作品が佳作に入ったのは、全く事情を知らない、他の選考委員たちの客観的な評価の結果だったので、気持ちがいい。
 阿川弘之さんが、特別賞に選ばれるのは実に早かった。五分もかかったかどうか。私など目を挟む隙もほとんどないほど、満場一致だったのである。
 それを通知したら、阿川さんはあれこれとごちゃごちゃ遠慮するようなことを言われた。すると電話に出た三浦朱門が言った。
「そんなにごたごた言わないで、つまりアンタはその金でオレにトンカツおごってくれりゃいいんだ」
 それでやっと事は決まった。汚食にも程度があるのだ。三浦朱門は、名だたる料亭の料理より、トンカツ、すき焼、てんぷらがずっと好きなのだ。ついでに私もおごって頂くことにしたから、私は財団関係で、今回初めて汚食ができるのである。
 この夏私たち一家は、長良川産の鮎を贈られた。鮎は高価だから自分で買ったことはあまりない。舅姑が生きていた頃は、鮎を頂くと老人二人が喜ぶので、私もついでに嬉しかったものだ。
 長良川の河口堰を作るべきか否かがしきりに論議の対象になっていた時、私は時の環境庁長官が発言の中で、統計の数字に間違いをしていることを取り上げて書いたことがあった。
 当時は私だけでなく、世間の多くの人たちは、周辺のほとんどすべての住民が、河口堰建設には反対なのだ、と思っていたのである。
 同じ頃、河口堰周辺の或る地方自治首長さんが私を訪ねて来られて、住民は本当は建設に賛成なのだ、と言われた。「ああそうですか」と私気のない答え方をした。私は政治的にどちら側について動こうなどという気がないのだから、話は何ということはないのんびりした雑談になり、首長さんは「今度是非、長良川を見においでください」と言ってくださった。しかし私は「当分伺えません。そんなことをしたら、ソノアヤコはそちら側の陣営の手先だと思われます」と答え、その言葉通り、私はそれ以来長良川の近くに立ち寄ったことさえなく、従って長良川の鮎を口にしたこともなかった。それが今年になって、当時、渦中にあった一人の方から「鮎、無事でした」と初めて送られたのだから、やっと「汚食」もできるようになったのである。
 
アユは「消えた」か「増えた」のか?
 ほんとうにおかしな偶然なのだが、鮎が届いたまさにその日に、夫が名古屋から帰って来たのである。その前の晩、名古屋に泊まったので、翌朝、七月七日付の朝日新聞の「中部版」をホテルで読んだ。それによると長良川には鮎が「ぴたっと来なくなった」とあったので、長良川の鮎はもう取れなくなったんだなと思い込んでいたという。それなのに鮎を見るとすぐ「まあどっちでもいい。鮎、食おう」と言ったのだから本当に汚食風の節操のない話である。
 朝日の記事は「そして何が起きたか 長良川河口堰運用4年」の「下」の部分である。
 朝日はこう書いている。
「岐阜県の統計によると、アユの漁獲量は九二年の一千トン強がピークで、堰の運用前の九三年で六百トン以下に減り、運用後の九七年には四百トンを割った。放流量を増やしても漁獲量は増えていない」
 しかしこれが不思議な記事なのである。「水資源開発公団」の「長良川河口堰アユ実測遡上累計グラフ」によると鮎の遡上数は、今年が最高なのである。
 アユの遡上数を、河口堰が運用された年から順次記録してみると次のようになっている。
 九五年  約三二万尾
 九六年  約一八二万尾
 九七年  約二二六万尾
 九八年  約二七二万尾
 九九年  約三〇五万尾
 これらの数字は日の出から日の入りまで十分間観測すると十分間休むという計測方法で実数を表示しているため、実遡上数はおおよそこの倍となる、という。ここ四年間で魚の数は確実に九倍以上に達していることになる。
 岐阜新聞の記事も朝日とはかなり違う。岐阜新聞六月二十六日付の記事では「長良川中央漁協と郡上漁協は今年四月から、長良川河口ぜき上流の湛水域に鮎の稚魚を放流し、組合管理水域の美濃市や郡上郡などでそ上を確認する追跡調査を実施」
 上記二漁協によると「一九九九年から本格運用されている三重県長島町の長良川河口ぜきによって生じたせき上流の湛水域が、鮎のそ上に悪影響を与えているのではないか、という不安が組合員の間から出ていたため、水資源開発公団の協力を得て今春から独自調査を始めた」
「漁協単位の追跡調査は初の試みだが、(中略)せきから百キロ以上上流の郡上郡の長良川でもそ上を確認していた。また、せきに設置されている魚道のそ上状況は二十一日現在、これまでで最高の三百五万匹のそ上が確認されている」ということなのだ。
 読売新聞の記事はそれ以前の四月十八日付のものだが、長良川河口堰で「稚アユの遡上がピークを迎え」たとし、現在は十センチ前後のアユ数万匹が毎日、魚道をのぼってくると書き、写真も載せている。
 鮎を一年に一度くらいしか食べない私たちにとっては、ほんとうはどちらでもいいことなのだが、朝日新聞による「アユ消えた」長良川が本当の姿なのか、それとも今年は最終的には六百万尾を超えるとする調査の方が本当なのか、あまりにも違い過ぎるので、やはり新聞の責任上はっきりした方がいい。
 



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