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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 安全第一?危険のない人生なんて…  
コラム名: 自分の顔相手の顔 77  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1997/08/26  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   人間は誰でも安穏で、事故や事件がないのがいいに決まっているが、それでも現代はあまりにも安全第一でつまらなくなっていると思うことがある。
 私はカトリックの学校で育ったので、友人の数十人がカトリックの修道女になった。そしてその中の数十パーセントは、途上国に散らばって、職業教育、識字教育、病院の医療などのために働いている。貧しさは犯罪も生むし、病気や内乱の危険も避け難い土地である。
 かつて十九世紀のフランスの神父たちは、暗黒大陸と言われたアフリカで宣教する時、その志願の誓約書に「死を覚悟して」という特別の条項を書き入れた。そして事実彼らの多くは殺され、病に倒れた。しかしその犠牲者が多かった時代には、またそうした危険な土地に行こうとする若い神父たちの数も最高に達したのであった。
 最初にも言った通り、私たちは何より安楽、安逸、安全が好きなのである。しかし人間は矛盾に満ちた動物だから、安全だけでは生きる実感が薄れて来る。危険は承知で、命を賭けた仕事をしたいとも思うのである。
 私の友人の修道女たちが、電気も水道もなく、文明からも遠く、言葉も現地の部族の言葉しか通じない人たちのため、エボラ出血熱やマラリアやエイズなどの危険を承知の上で、こういう土地へ一人で入り込んで不自由な日常生活に耐えて働いているのは、人間のこの限りある人生を生き尽くすという情熱や、生の実感を得るためであり、神が喜ばれる任務を果たすのが使命なのだ、という判断のためである。
 今はちょっとした旅行にさえ安全が厳しく要求される。人生には完全な安全など、どこにもないのに、である。ましてや安全第一なら、自宅にいて旅などしない方がいい。ニューヨークが見たければ、恐らくビデオで「アメリカの旅」とか「ニューヨークのすべて」とかいうような作品もできているだろうから、それを見ていればいいのである。
 旅は本来、不便で、思い通りに行かず、何ほどかの危険や損失を受けることを含み、くたびれるものなのである。それを承知して、それでも新しい体験を取るか、それとも、そんなにお金がかかってしかもくたびれることはせず、ずっと家にいるか、それはその人の選択なのである。
 しかし生の充実感というものは、人にとって実に大切なものなのだ。それがないと、人間は生きていてもどこかに不満を残しているし、死んでも死に切れないような気分になる。
 安全がいいことだとはわかっているが、安全だけがいいのでもない。昔はこうした、もだし難い思いというものをわかってやる親も人も世間もあった。何より当人がそうした冒険を自分の中に認めていた。しかし今はそうではない。怖いこと、危険なことは一切しない小心なおりこうさんばかりになった。その時、人間性の一部も失われたのだ、と私は思っている。
 



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