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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 成人式?こんな人を祝う必要はない  
コラム名: 自分の顔相手の顔 213  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1999/02/09  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   早大教授の吉村作治氏が仙台市の成人式に招かれて講演した時、集まった新成人たちが全く話を聞かず、途中で立ったり、携帯電話を掛けたり、私語したりしたので、怒って途中で講演をやめたと報じられたのは大変いい刺激であった。私はもう二十年くらい前から成人式の講演はやめてしまった。二十年前から状態は同じだったのだから、教師も親も自治体も病状を実に二十年間放置したらしい。
 私の話はおもしろいから聞かないのは悪いと思ったのではないのだ。講話、訓話、演説、講演のたぐいは、すべておもしろいものより退屈なものの方が多いだろう。しかしそういう場合にも、私たちは礼儀というものを考えた。講師も善意で来たのだから、どんなに退屈でも我慢して聞いたのである。
 私は冷たい性格だから、とっくの昔にこういう連中を捨てたのだが、吉村教授は心が温かいから怒った。理由は同じかもしれない。こういう人には、他の何をやらせても、ろくなことはできないだろうと思うからなのだ。
 まずたかだか一時間ほどの退屈を我慢できない、ということは、将来何をやらせてもだめだろう、ということだ。人間、生きて仕事をしようと思ったら、耐えねばならないことばかりだ。考古学の話なんて全く興味ない人も当然いるだろう。しかしそれでも講演会場に入ったのは自分の責任なのだから、仕方なく我慢すべきなのだ。
 この事件を取り上げた朝のテレビ番組も見たが、トンチンカンなのもあった。「講演なんか止めて汁粉パーティーにすればよかったんだよ」などという人もいたが、私が嫌いなのは、その時々の目的がはっきり認識できない人なのである。とにかく彼らは自分で選んでその会場に入ったのだ。県庁や市役所の人が、首に縄をつけてむりやりに入れたのではない。
 彼らは成人式なんか最初から無視して、家にたむろし、もっぱら友達と喋ったり、汁粉パーティーをしたり、携帯電話で遊びの約束をする自由もあった。それをうかうかと講演会場などに入りこんできて、しかも一時間も我慢できないという。そんな人間に成人式を祝う資格などないし、親も教師もこういう青年を作ったことに顔色青ざめるべきだろう。
 大学も今からでも建て直しをしたらいい。授業は講義を聞く場である。聞かないなら、初めから大学に行かないこと、講義に出ないことだ。教室に入って喋ったり、電話をかけたりするのはルール違反だ。それなら最初から喫茶店に行き、校庭で携帯を使えばいい。邪魔者を教室に置く必要もないし、単位をやることもない。自分は今何を目的にここにいるか、ということさえわからず自分のいる場所を適切に選べないような人間に成人の責任が取れるわけはないのである。少なくとも二十年以上若者たちにこびへつらって、成人式会場での私語、途中退場、携帯電話をかけることを禁じる処置さえ取れなかった大人たちの、だらしのない弱腰が、教育の荒廃を明るみに出したのである。
 



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